「本質的に右派」?「デジタルな反逆」?暗号資産の政治色を考える

ドージコインの生みの親の1人であるジャクソン・パーマー氏は7月15日、気になるツイートを発信した。暗号資産(仮想通貨)テクノロジーは「本質的に右派」だと主張し、クリプトに参加することに興味はないという立場を繰り返した。

しかし同じ日、伝説的映画監督のスパイク・リー氏は、有色人種や女性を歴史的に苦しめてきた金融システムに対する「デジタルな反逆」だとして、クリプトを称賛した。この発言は、暗号資産ATM企業コイン・クラウド(Coin Cloud)の広告の一部である。

近いうちに決定的に白黒のつく議論ではない。しかし、その裏にはより大きく、より興味深い次の疑問が隠れている。テクノロジーは、政治的バイアスを持つことができるのか?

形態と中身

理解するのは難しいが、形態と中身の区別がこの議論の核心となっている。例えば、絵画の形態とは、壁にかけられる絵の描かれた四角のことで、中身は何でもありだ。

この議論を500年巻き戻せば、パーマー氏とリー氏の議論は、絵の描かれたキャンバスをかけるテクノロジーが本質的に権威主義的なものかどうかを議論するものとなる。少しバカげているように聞こえるかもしれないが、歴史家や芸術評論家の間ではいまだに議論となっているのだ。

様々なテクノロジー、特にコミュニケーションツール(クリプトは確かにコミュニケーションテクノロジーである)に内在するバイアスの分析に焦点を当てる学術的伝統が存在する。

学者たちによれば、この議論は紀元前370年、プラトンが『パイドロス』の中で、記述に過剰に依存することは、人々の記憶力を弱めるなど、社会にマイナスの影響をもたらすと主張したところまでさかのぼる。

そしてこの議論が本当に活発になったのは、20世紀半ば。放送や電子メディアの進化を受けて、学者のマーシャル・マクルーハンが、「メディアはメッセージ」だと宣言したのだ。つまり、コミュニケーションテクノロジーの形態が、その中身よりもはるかに社会的影響を形作るということだ。

マクルーハンの最も鋭い指摘は、印刷機の分析に見られる。私たちは通常、その発明を、大衆が識字能力を持つ新たな時代、宗教改革、さらには民主主義の台頭への入り口ととらえるように教えられている。しかしマクルーハンは、印刷という形態は、民主主義を促進するのと同じくらい、あるいはそれ以上に、管理資本主義への道を切り開いた独特の直線的で論理的な考え方を促進したと主張したのだ。

このことは、パーマー氏や、学者のデイビッド・ゴルンビア(David Golumbia)氏をはじめとする一部の批評家による、カテゴリー錯誤を浮き彫りにしている。

パーマー氏はツイッターで、クリプト全体が「怪しいビジネス上のコネクションを持つ富裕層の強力なカルテルにコントロールされている」と主張。私自身も、悪意ある人たちによる、止むことのない暗号資産システムの操作を嫌っているが、それはそのようなシステムの中身についての主張である。

一方、パーマー氏の「暗号資産は本質的に右派で、超資本主義的テクノロジーである」という結論は、その形態についてのものである。

マクルーハンが主張した通り、2つは直接つながってはいない。システムやテクノロジーは、「本質的に超資本主義的」でなくても、強力な人たちの利益のために操作され得る。

暗号資産は規制や課税に抵抗するため、すでに権力を持った人たちに力を与えると、説得力のある議論を展開することもできる。しかし、人間の力を拡張させる大半のイノベーションに関して同様の主張が可能だ。

既存のエリートたちは通常、イノベーションを自らの利益になるものにする方法を見つけ出す。これは単独の技術的イノベーションというよりは、人類文明に組み込まれたバイアスであろう。

「木を見て森を見ず」

「(パーマー氏は)木を見て森を見ず状態に陥っていると思う」と、ブロックチェーンテクノロジーの極左な有用性を専門に扱うポットキャストのホスト「The Blockchain Socialist」は語った。

「現在の暗号資産分野の構成には、多くの右派的要素が存在するが、彼が自らを『社会派の傾向がある』と言うならば、DAO(自立分散型組織)を通じてデジタルコモンズの民主的な管理を促進することなど、政治的変化をもたらす根本的な可能性に関心を持つはずだ」

ヒューマン・ライツ・ウォッチのアレックス・グラッドスタイン(Alex Gladstein)氏は、暗号資産の技術的形態の深い要素が持つ可能性に注目している。検閲不可能な性質だ。

世界中の多くの権威主義政府が、金融規制を通じて国民を支配している。パーマー氏の嫌う詐欺や操作を可能にするテクノロジーは、基本的な生存のためや、抵抗運動に分散的に資金を提供するためなど、金融規制を回避する方法も提供するのだ。

スパイク・リー氏の親暗号資産的メッセージは、感情的な宣伝文句へと凝縮(あるいは希釈)されてしまっているが、金融テクノロジーの中身ではなく、形態に焦点を当てたものだ。

クラウド・コインの2分間の宣伝動画の中でリー氏は、「古いお金は(中略)すっかりお終いだ」と宣言。ドル紙幣に印刷された白人たちにフォーカスし、幅広い金融システムが有色人種と女性を「体系的に抑圧している」と非難する。

同様の論点は、『Bitcoin and Black America』の著者イザイア・ジャクソン(Isaiah Jackson)氏も詳細に検証している。ジャクソン氏の主張は、旧来の銀行システムの中央集権型テクノロジースタックが、銀行家たちの手に権力を集中させる内在的性質のために、体系的不平等につながった点に焦点を当てている。

アメリカの白人支配者階級を圧倒的に占めるそのような銀行家たちは、集中した権力を使って、1990年代まで住宅面での実質的な人種隔離を続けさせた投資差別「レッドライニング」などの慣行を実現させ、その過程で黒人コミュニティーから、富を生み出す大きな源泉を奪った。

突き詰めるとジャクソン氏は、そのような歴史を考慮すれば、強力な人たちにもともとコントロールされていないテクノロジーは、隅に追いやられた人たちにとって魅力的な代替オプションであると主張しているのだ。

重要なのは、この議論は、強力な人たちによる影響と操作というパーマー氏の主張が正しくとも、有効であると言う点だ。印刷機と同じように、ブロックチェーンネットワークの社会を変容させるような力は大きすぎて、特に革命のこれほど初期においては、現代の政治分布のどこにもピッタリと当てはまらないのだ。

クリプトは良かれ悪しかれ、多くを含有している。世界において新しいものであり、その影響は深く、時には直接的に相反するものとなるだろう。そのような複雑さを拒絶することは、大胆な政治的姿勢というよりは、絶え間ないイノベーションの時代において政治を先導する絶えず続く取り組みから身を引くようなことかもしれない。

|翻訳・編集:山口晶子、佐藤茂
|画像:Shutterstock.com
|原文:Jackson Palmer vs. Spike Lee: ‘Inherently Right Wing’ or ‘Digital Rebellion’?