イーサリアムは何のためにあるのか【オピニオン】

弱気相場において、ブロックチェーン文化はその実態を目の当たりにさせられる。レンディングプロトコル、セルシウス(Celsius)の引き出し停止に端を発した先日の暴落では、分散型金融(DeFi)市場が影響を伝播させるような、複雑な金融商品の迷宮であることが判明した。

DeFiは、既存の金融システムに代わる、開かれた非許可型オプションにつながるのではなく、現状を拡大させる鏡像に過ぎないのだ。メタマスク(MetaMask)の拡張機能を通じた、カジノ資本主義である。

人々は当然ながら、無責任に借り入れをし過ぎたヘッジファンドやレンディングプラットフォームの責任だと考えた。問題は、DeFiのフリをした中央集権型金融(CeFi)であり、DeFiそのものには問題はないと言うのだ。しかし、「今回は違う」という考え方、DeFiが勝利を収めた暁には、金融関連の組織が皆、分別良く振る舞うという考え方は、中毒患者の妄想のようだ。

現実には、このような事態は再び起こる。DeFiの本拠地となっているイーサリアムの政治的目標が曖昧なままだからだ。イーサリアムには、技術的目標は存在する。開かれた、透明性を持つ世界のコンピューターになることだ。

しかし、イーサリアムが何のためにあるのかを、誰も知らない。その意義、存在理由には、大きな疑問符がつきまとうのだ。

対照的にビットコインの政治的目標は、一言でまとめられる。ビットコインがデフォルトで世界の価値システムとなる、ハイパービットコイン化である。つまりビットコインの目標とは、法定通貨システムから、ビットコインを標準とした世界への移行だ。

イーサリアムの政治派閥

イーサリアムには、それに匹敵する言葉があるだろうか?それを見つけるためには、現在のイーサリアムの政治状況を理解することが大切だ。その派閥には、以下のようなものがある。

サイファーパンク:イーサリアムは、プログラマーが暗号化と演算を使って、他の人たちが意味を付加できる中立的インフラを開発するべきであると考える、プライバシーとテクノロジー擁護派の初期の伝統に根付いた考え方。

イーサリアムの政治は、その非政治的な立場にあり、時にアルゴリズム型権威とも呼ばれるものだ。唯一の重点は、人間による仲介をほとんど必要としないオープンソースツール作りにある。イーサリアムの「中核的」開発者たちに多い立場。

実験的リベラリズム:イーサリアムの実験的ガバナンス(ヴィタリック・ブテリン氏の提案する譲渡不可能なNFT「Soulbound」トークンなど)と、マーケットメイキング(多様な意見を反映しやすくなるクアドラティック・ボーティングという投票の仕組みなど)の組み合わせが、新しい自由民主的政治イノベーションを生み出すことができると考える立場。ネットワークの生みの親ヴィタリック・ブテリン氏や、マイクロソフトのグレン・ワイル氏などと結びつけられている。

ソーラーパンク:分散型自律組織(DAO)によって可能となる社会的協調は、その哲学に埋め込まれた温かい人間味によって、より広範な社会に対して正の外部性(プラスの影響)を生み出すことができるという考え方。ギットコイン(GitCoin)のケビン・オウォッキ(Kevin Owocki)氏やスコット・ムーア(Scott Moore)氏、ドインガッド(DoinGud)のマヌ・アルズール(Manu Alzuru)氏などがこの立場の代表例。

ルナパンク:イーサリアムネイティブテクノロジー(DAO、DeFi、NFT)のプライバシー機能を、ゼロ知識証明によって向上させることが、暗号資産文化を現代の監視資本主義から守るために必要と考える立場。典型的には、アゴリスト(反経済的な手段を通じて、人々の間の関係がすべて自発的な交換となるような社会の構築を提唱)、あるいは政治的左派リバタリアンな立場をとる。DarkFiのレイチェル-ローズ・ロレアリー(Rachel-Rose O’Leary)氏やアミール・タアキ(Amir Taaki)氏と関連している。

ディジェン:イーサリアムは、極めて投機的な性質を持つ金融商品の作成のためのプラットフォームであり、ユーザーの唯一の目標は、時には非道徳的な方法を用いてまで、富を集積することにあると考える。市場ニヒリズムの一形態。

イーサリアムは何のために存在するか?

これらの立場に共通する、ビットコインのハイパービットコイン化に対応するような要素はあるだろうか?

市場ニヒリズムの考え方は短期的で、イーサリアムの長期的なあり方には関心を持たないため、除外しよう。

すべての立場に共通するイーサリアムの目標は、持続不可能な慣習の上に築かれた、劣化を続ける既存の金融システムからの移行だ。しかし、そのような慣習の変異版が、ディジェン文化やそれを可能にするベンチャーキャピタル、ヘッジファンドに見受けられる。

このように広範なイーサリアムの政治的立場は、「そもそもイーサリアムは何のためにあるのか?」という質問への答えの中にまとめられると、私は考えている。

この質問への答え抜きには、「イーサ(ETH)価格を吊り上げ、利回りを生み、NFTを転売するのが目標だ」というのが答えなのではという疑念が、常につきまとってしまうだろう。

だからと言って、多様な見方を一つのまとまった立場に集約しなければならないという訳ではない。大まかに合意できる答え、ゆるやかなコンセンサスがあれば便利だろうというだけのことだ。

様々な立場にまたがるコンセンサスを追求し、イーサリアムの政治的目標についてまとめると、それはハイパー再生化だ。

幻想的な天井知らずの成長ではなく、再生的な経済。イーサリアムは、クアドラティック・ファンディング(Quadratic Funding:公共財のための、より民主的な資金配分の仕組み。

より多くの人に価値をもたらし、一般の人がアクセス可能なプロジェクトが、より多くの資金を受け取る)の仕組みを通じて、遡及効果を持つ積極的な公共財を提供する。ソーラーパンクが正の外部性に重点を置いていることが示唆している通り、中立的な公共財のサイファーパンク的仕組みを、イーサリアムとウェブ3だけではなく、伝統的政治の世界にまで広げる可能性を持つ。そうなるとイーサリアムは、自由主義的で人道主義的原則に沿って作られた、国家による管理に代わる最小政府主義的オプションとなり得る。

魂のこもらない個人的投機ではなく、再生的な市民。イーサリアムは善良な市民に、ギットコインのラウンド、ガバナンス投票、テストネット、コミュニティチャンネルへの参加など、遡及的なエアドロップで見返りを与えることができる。

実験的リベラリズムにおける市民の活動は、時間と共に成長するSoulboundトークンに記録することができ、ルナパンクのプライバシー重視の考え方によって、市民が自らの身元を「選択的に公開」したり、まったく公開しないことを選ぶことができるようにする。これがうまくいくためには、社会、あるいはコミュニティによる安全なウォレット復元の方法を確立する必要がある。

中央集権型退化ではなく、再生的分散化。イーサリアムは情報コモンズ、あるいは共有の知識プールである。課題はあるが、透明性のおかげで、中央集権的クラスターが生まれた場合に、それを検知できる。クライアントの多様性を再分散化しようとする最近の試みや、ステーキングを再分散化しようとする現在の取り組みは、中央集権的退化を潰そうという文化的衝動は健在であることを示している。

これを実現するには、サイファーパンク開発者文化の考え方における、最小限の役割を持つ「夜警」が必要となってくる。

イーサリアムは何のためのものか?さらなるハイパー再生化をもたらすためのものだ。

|翻訳・編集:山口晶子、佐藤茂
|画像:Shutterstock
|原文:The One Word That Defines Ethereum’s Goals