なぜ中国デジタル通貨が怖いのか、2020年五輪イヤーに決済の世界で起きること──『リブラ』著者・岡田仁志

2019年、ブロックチェーンや暗号資産に関心のあるビジネスパーソン、経営者、投資家にとって、最も大きなトピックの一つだったのがフェイスブックのデジタル通貨「リブラ」だろう。構想が発表されて後、先進国政府・中央銀行からの予想以上の反対から予定は延期されているが、『リブラ 可能性、脅威、信認』(日本経済新聞出版社)を上梓した岡田仁志・国立情報学研究所准教授は「リブラ構想を発端に起きた議論や再認識されたブロックチェーンの可能性に目を向ける時」と指摘する。岡田氏にリブラ構想がもたらした影響、CBDCやブロックチェーンの展望について聞いた(取材は11月下旬に行われました)。

リブラ構想の意義、ブロックチェーンだからできる世界規模のデジタル通貨

『リブラ 可能性、脅威、信認』(著・岡田仁志、日本経済新聞出版社、Kindle版1,782円、紙版2,750円、記事公開時点)

──書籍を上梓された10月以降、リブラプロジェクトには厳しい環境です。

本書の狙いは、リブラという現象に対して国や金融大手などの勢力がどう反応するかを書くところにありました。

実は10月2、3日のブロックチェーンカンファレンス「b.tokyo」にカリブラのキャサリン・ポーター氏が来るということで、登壇内容を確認して校了する予定でした。彼女の言葉から、困難や障害があってもリブラは進められるという当事者のポジティブな姿勢が確認できたので、出版もできました(笑)。

リブラそのものがどうなるかも重要ですが、それ以上に、ここを発端に起きた反応や議論にこそ意味がある。本書はその論点表としてちょうどいいと自負していますし、実際そういう位置付けで読まれているようです。

──リブラ構想から広がった議論や反応で興味深いのはどのあたりですか?

リブラはブロックチェーンを使うデジタル通貨の構想です。この誕生をきっかけに、“ブロックチェーンを使わないと実現が難しいような世界規模の通貨が登場する可能性”が生まれ、高まったと言えます。

仮にリブラが最終的にブロックチェーンを使わなかったとしても、パブリックブロックチェーンの強さが再認識されたという点で意義深い。管理者が一人・一つの国や組織ではないにもかかわらず、世界中である程度の信頼が得られる通貨を流通させるには、パブリック性のあるブロックチェーンでないと難しい。

──リブラは延期を余儀なくされるなど、順調とは言えません。フェイスブックですら実現が難しいとすると、一体、誰があれほどの構想を実現できるのでしょうか。

フェイスブックで難しいということになれば、他のIT企業では難しいでしょう。実際、GAFAの他の3社の金融サービスは、いずれもビザやマスターなどのネットワークにローミングするだけ、UIを用意して古いタイプのカードではなく見せているに過ぎません。バックエンドは完全に乗っかっているだけで、既存秩序には挑戦していない。

リブラだけはドル、ユーロとは別に新しい通貨単位を作ろうとしている。ビザ・マスターカードのネットワークにも依存せず、 通貨発行主体と決済手段の提供者の両方を敵に回している。これだけのことはフェイスブックだからできた。

──なぜフェイスブックはできたのでしょうか。そこまでしなければいけなかった理由は?

SNSというサービスの性質上、変わり続ける必要があるからでしょう。でなければ若い世代は必ず新しく生まれるサービスを使うようになる。余裕があるうちに動かなければ、過去にあったSNSのように使われなくなってゆく。

そこで通貨を握っておけば、他社のゲームで通貨が使われて生き残るといったことも考えられる。フェイスブックはインスタグラムやWhatsAppなどを買収しましたが、SNSがSNSを買っても、ユーザが年を取ったら同じことです。

英国と中国が組むと怖いことになる

──フェイスブック、リブラ以外に、ブロックチェーンを使ったプロジェクトに熱心なところ、注目しているところはありますか?

国でいえば積極的なのはイギリスです。ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)にはブロックチェーン技術センターがありますし、守旧派のケンブリッジにもオクスフォードにもブロックチェーン研究者がいます。

英連邦にはアメリカ、米ドルの覇権に対抗したいという思惑があるのではないか。今でこそ通貨覇権はドルが握っていますが、歴史でみれば短いことで、もともとは金融の都はロンドンであり、通貨覇権はポンドが握っていたわけです。

新しい時代の通貨の都はロンドンという存在になりたいのでしょう。英連邦が団結すればまあまあのボリュームにはなりますが、それでもドルには足りない。となると、注視すべきは「イギリスが誰と組むか」です。

──どこと組むと思われますか?

可能性としてあるのは、そして面白いのは中国だと思います。

2018年、日中韓の経済局長会合が北京で開催されました。その際撮影された、3人の局長が握手している写真があるのですが、そこにUCLのブロックチェーン技術センター長が写っている。ちょうど日本でブロックチェーンに関する国際会合が丸の内のフィンテックセンターで行われた時のことです。ここに参加すると思われていたイギリスを代表する人物が来なかった。なぜかというと北京でその会合に出ていたわけです。

これが意味することは何か。アジアでパートナーを探しているという可能性を示唆するものと考えます。ただイギリスは日中韓の中では、日本よりも中国、韓国に接近しているように見えます。

──中国と英国が組むというのがイメージしづらいですが……。

がっぷり四つに組むというより、ゆるやかな連携・協調になるでしょう。ドイツが車を売るためにゆるやかに中国に接近したようなイメージです。

たとえば国際通貨を発行しようというムーブメントを同時に起こして、「基軸通貨はドルだけではない」という雰囲気を醸成する。ただし通貨そのもののテリトリーはそれぞれ分ける。諸葛孔明の天下三分の計が想起されますが、米中英の三極になれば、一対一では勝てなくても取り分は増やせる。

──疑問として生じるのがユーロです。EUはどう向き合うのでしょうか。

ECB(欧州中央銀行)の考えが今ひとつ分かりません。ドラギ前総裁がリブラに対し、民間の動きなどとるにたらないという見方を表明したと思えば、見過ごすことができない重大な存在とも言っている。どっちなのか判断がつかない。ラガルド新総裁はIMF専務理事だった昨年(2018年)、中央銀行デジタル通貨の発行に関心を示したことがありますが、その時にはリブラはなかった。

ユーロほどのものを簡単に作れないと高はくくっているでしょうが、とはいえ通貨単位が一つできれば、ユーロやECBの存在意義も薄れますから危機感はあるでしょう。

欧州の対応としては2通り考えられます。まずまったく相手にしない方法。デジタル通貨を発行する必要はないという立場を貫くわけです。決済の電子化は進んでいますから、通貨という形でわざわざ相手の策にのらなくていい。

もう一つは、今のうちにECBとしてデジタル通貨を発行する方法。たとえECBが動かないなら、各国の、フランスやドイツの中銀が勝手に発行してしまう可能性もなくはない。ユーロが崩壊しかねませんが、そのどさくさで各国通貨を復活させる動きが生まれることになる。米国はデジタル通貨にやる気がないそぶりですが、もしやられたらEU、ユーロはひとたまりもない。

「円は不要?」日本での買い物にデジタル人民元が使われる

岡田仁志氏(撮影:濱田 優)

──議論がすべて海外の話ですが、日本は取り残されてしまうのでしょうか。

日本で問題なのは、通貨の防衛を誰が担当するかはっきりしていないことです。仮想通貨の利用者保護なら金融庁でしょうし、円という通貨の価値を守るのは日銀。グローバルなデジタル通貨が登場して勝手に使われるようになると、通貨価値が侵食される動きから誰が日本を守るのか。

中国は積極的に国をあげて、人民元をグローバルな通貨にしようと取り組んでいる。アリペイ、ウィーチャットペイもあって、国内はコントロールできるし、もし仮想通貨としてのデジタル人民元が登場したら国外でも徐々に広がっていくでしょう。たとえば日本でもノードをたてる人はでてくるでしょう。コインのアドレスがあれば加盟店を作らなくても送金できますね。ビットコインの加盟店になるのに誰の許可も要らないのと同じです。

そうなっても、日本に支社がある会社が日本で決済を代行して、円から人民元に変換して中国に送金するなら日本円は介在しているわけですが、最初から仮想通貨であるデジタル人民元が元建てだとすると……。値段も元で表示されていて、日本人が日本で買い物しているのに使っている通貨が人民元だけで、円は要らないということになってしまう。

アリペイ、ウィーチャットペイのモバイル版は日本ではまだ利用はできませんが、約款を読むと管轄裁判所が広東省深セン市になっているし、資産は中国の人民銀行の規制によって保護されるとなっている。

これはどういうことかというと、インターネットの世界ではもめた時の管轄裁判所が米国・カリフォルニアやルクセンブルク、アイルランドに指定されているサービスがたくさんありますね。アイルランドはそれをビジネスにすらしているわけですが、それと同じことを中国が金融でやりかねないということです。インターネットにおけるアメリカのような存在に、中国がなる可能性がある。

──中国がかつてのアメリカのような立場になっていくと。

中国はアメリカをよく研究していますよ。対等な立場に立つべく、アメリカがどうやって世界をうまくコントロールしているのかよく勉強している。

たとえば、アメリカのFinCEN(金融犯罪捜査網、Financial Crimes Enforcement Network)が世界中のマネーロンダリングを捜査していますね。アメリカはマネーの分野でも世界の警察として、アメリカに少しでもかかわりのある取引は自分たちが捜査するという姿勢です。

──日本はどうすればいいのでしょうか?

それと同じことを中国は言っている。これから発行するデジタル通貨が関わる取引は、すべて中国が、中国人民銀行が関わるという姿勢です。

実は立法府で日本の成長戦略を書いているチームの中には強い危機感を持っている人物もいるのですが、今の所、具体的な対策は打ち出せていません。おそらく参考にできるとしたらアジアの国々でしょう。たとえば台湾のポジショニングを見ると、東アジアのバランスをどう取るといいか見えてくる。

西のエストニア、東の台湾

台湾は大陸(中国)と同じことをやると、顧客は簡単に手に入りますが、そればかりでは独自の存在感を示すことができなくなってしまう。台湾としてのアイデンティティを保つためにも、中国・大陸とは差別化し、日本ではやったものを取り入れるという考えです。なおLINE Payがはやっているのもそうした背景があってのことでしょう。

アリペイ、ウィーチャットペイは信用スコアが一緒になっているので、これはもう統治機構そのもの。台湾がそれにのってしまったら、相手にクビねっこを抑えられるのと同じ。両岸関係を良好に保ちつつ、自分たちが得意としている技術の面ではなるべく独自のものを使うという姿勢です。

これは仮説ですが、台湾はブロックチェーンのパブリック性をつかって生き残ろうとしている国で、エストニアに近い立場かもしれません。西のエストニア、東の台湾という新しいタイプの国のあり方です。こうした国々のバランス感覚というのは、日本にとっても良い影響をもたらすかもしれない。

アジアのブロックチェーン立国を目指す国々と、日本は手を携えるのがよい。しかも、その中でリーダー的な存在でありたい。台湾だけではなく、日本と仲良くしてくれそうな東南アジアの国も探したいところですね。たとえばタイ。いま日本旅行の番組がはやっていて、日本の旅行が増えている。タイでも韓国ドラマやK-POPがはやりましたが、また日本にもファンが戻ってきているそうです。あとはベトナム、カンボジア、ラオスの人たちから信認が得られるかどうか。

これらの国々は、いろいろな国とバランス取って付き合っていますが、お金のような誰かを信頼しないといけない面では日本に任せてくださいといえるかどうか。

たとえばソラミツは、カンボジアと組んで、迅速で無料の決済・送金を実現するトークン型の国立銀行デジタル決済「バコン」を開発しています。カンボジア中銀の責任者であるチア・セレイ統括部長(Her Excellency CHEA Serey)は英国や豪州で高等教育を受けた方で、日本のこともよくご存じなんですよ。そういうお立場にある方が日本の企業に信頼をおいてくださった。いいモデルケースだと思います。

何から何まで日本と組まなくても、技術や信頼が必要なところでは日本と組んで、日本流のブロックチェーンを使ってくれるような国がいくつかあれば、結果的に日本の通貨も守れるのではないでしょうか。

2020年、五輪イヤーの見通し

撮影:濱田 優

──2020年はどんな年になると思われますか?

リブラについては冒頭述べたとおり、まずフェイスブック、そしてリブラ財団がどう動くのかを注視するしかないでしょう。

あと2020年といえば五輪イヤーですが、五輪は万博以上の「決済の展示場」なんです。アトランタ五輪の時にはVISAやコカ・コーラが新しいお金の払い方の実験・デモをしました。この手の既存の大手決済業者・プレイヤーは、あらゆる技術を早期に買収して、しばしば塩漬けにしちゃうんですね。ただ唯一、五輪でデモして未来はこうなると提示してくれる。

そこで、アメリカのことをまねようと中国が五輪に間に合わせてグローバル通貨つくって、アリババかテンセントがデモをしてみせたら面白いことになる。中国からはアリババかテンセント、日本からはソフトバンク・Zホールディングスという見せ方をすれば盛り上がりますね。

いずれにせよ、紙とかコインというお金の形は長く続きません。五輪までにはリブラは間に合いそうにないですが、2020年はリブラの行く末とともに、五輪で提示されるかもしれない新しいお金のあり方に注目したいと思います。

聞き手・編集・写真:濱田 優