暗号資産のかくも人間的な欠陥:英雄崇拝

暗号資産コミュニティが史上最大の危機と向き合う中、シェイクスピアと彼の作品に登場する様々な王様について考えることが、役に立つかもしれない。

シェイクスピア作品に登場する王の大半は、誇大妄想的な悪者(リチャード3世、クローディアス)、騙されやすいお人好し(マクベス)、あるいは狂人(リア王)である。どの王も権力に魅了され、被害妄想に取り憑かれ、自らの利益と臣民の利益を区別することができなかった。

サム・バンクマン-フリード氏が、誰かに毒を盛ったり、近親者に対して策謀を企てたという疑惑はない。しかし、少数の仲間だけに囲まれた暮らしの中で、FTXの元CEOの彼が、異常で野放し、非常に危険な形で権力を掌握していた驚くような証拠が浮上してきている。その一方で彼は、人々の心の中に、賢く慈悲深いリーダーという輝かしいイメージを刷り込むのにおおむね成功していたのだ。

暗号資産はこんな風になるはずではなかった。FTXの顧客の大半は、分散型プロトコルへの投資が、人々とその経済活動を、腐敗しがちな中央集権型の権威を信頼する必要性から解放してくれると信じていたはずだ。(そのような約束を真に守っていた数少ないトークンを見分けるほどに、彼らがこの考えを十分に理解していたかどうかは、別問題である)

それにも関わらず、リーダー的存在への過剰な信頼によってここまで蝕まれていた現代のコミュニティはほとんどない。その根本原因は、英雄崇拝という長年の人類の習慣だ。

暗号資産の狂信的なファンたちは、この若く風変わりなリーダーを祭り上げ、王国への鍵を渡し、与えた権威を徹底的に腐敗させることを許した。

FTXの新CEOに就任したジョン・J・レイIII(John J. Ray III)氏は、「前例のない」FTXの会計・事業慣行について、次のように描写している。

徹底的な「企業統制の失敗」、「信頼できる財務情報の不在」、「システムの整合性の欠如」、「経験に乏しく野暮で、疑わしい人物たちからなる非常に少数のグループに権力が集中」。

バンクマン-フリード氏のFTXは、ドル建ての規模で言えば、暗号資産史上最大級の詐欺ということになるが、それ以外にも暗号資産界はこれまで、驚くほどたくさんの詐欺師たちを生んできた。

クアドリガX(QuadrigaX)のジェラルド・コットン(Gerald Cotton)氏、ワンコイン(OneCoin)のルジャ・イグナトバ(Ruja Ignatova)氏……。まだまだ他にもいる。

分散型システムに夢中のコミュニティが、対抗すると主張する対象になぜこれほど頻繁に騙されてしまうのだろうか?

私としては、相互に関係した深い人間的要因の組み合わせだと思っている。そのような人間的要因を認識、理解することは、暗号資産がそのメンバーたちを詐欺師たちから守るためのガバナンスモデルを採用するには不可欠だ。

結局はみな人間

英雄崇拝は普遍的で、原始的なものでもある。群れの中で第1位の猿や部族のリーダーから始まり、リンカーンやチャーチルなど戦時の指導者たち、ウォーレン・バフェットやジャック・ウェルチなどの有名CEO、あるいはビル・ベリチックやヴィンス・ロンバルディなどのスポーツコーチに夢中になることへとつながっていく。

この最も社会的本能には、根深く先天的なところがある。あらゆる集団は生存について懸念を抱き、指導者が方向性を定め、困難から守ってくれることを求めるのだ。

英雄崇拝が先天的で普遍的だとすると、英雄崇拝の欠点から身を守るための分散型システムを提唱する人なら誰でも、自らの心の中に根ざす同じ本能を認識しなければならない。

初期の頃からのビットコインのサブカルチャーや、そのすべてを決定づけるような誕生ストーリーを考えてみよう。ビットコインのコードは1人の優秀な人物によって作られ、無私無欲な形で世界へと明け渡され、彼は自らの本名を伏せ、名声を得られる可能性を捨てた。そんなサトシ・ナカモトについては、歌や詩、アート作品なども作られている。

これらは特に有害なことではない。前述の通り、当たり前の反応なのだ。通貨エコシステムの形成や価値の交換に重要な暗号資産コミュニティが、このような神話的存在や崇拝の対象抜きに団結してまとまるとは想像し難い。

問題なのは、英雄崇拝が存在することを否定する姿勢である。人間ではなく数字を信じているのだから、このような間違った崇拝に足を取られることはないという考えなのだ。

非脆弱性という盲信の脆弱性

このように自らの限界を認識できないことは、自らが一員となっていると信じるシステムは分散化しているはずだからと、自らの安全性に誤った信頼を寄せている場合にさらに深刻な問題となる。

セキュリティ専門家は頻繁に、攻撃に対して最も脆弱なシステムは、参加者がそのシステムの非脆弱性に過剰な信頼を寄せているシステムだと指摘する。誤った安心感は、攻撃者にとって理想的な環境を生み出すのだ。

腐敗にも同じことが言える。究極的に欠陥を抱えたシステムなのに腐敗しないと、過剰かつ根拠のない信頼が寄せられていると、悪者たちはより簡単に人々を欺くことができるのだ。

FTXの顧客のどれほどが、自分が買ったトークンは分散型ブロックチェーンと関連しているから自らの投資は安全だと信じていただろうか?そのブロックチェーンが、仲介業者として機能している中央集権型の問題ある組織と間接的に関連しているとは知らずに。

規制の欠如

パズルの3つ目のピースは規制の欠如。ここに、現在の惨状から立ち直るための道が見えてくる。

FTXなどの組織が持つ、財政をコントロールする力を抑制する規制の欠如は、非脆弱性という幻想が生み出すリスクをさらに大きなものにする傾向がある。

部分準備銀行がどのように機能するかを直感的に理解していたとしても、銀行口座に預けたお金は、文字通り自分のお金だと考えてしまう傾向がある。それは、第三者がホストする暗号資産ウォレットに入っている暗号資産でも同じことだ。

どちらの場合も、顧客の資産は隔離されずに混ぜ合わされているため、そのような考えは間違っている。銀行や中央集権型取引所は、1対1のカストディアンではなく、顧客に対する債務者なのだ。

少なくともアメリカの銀行の場合、顧客は規制要件となっている連邦顧客保険によって保護されている。一方、規制を受けていない暗号資産取引所に資産を預け入れている人は、取引所が預け入れられた資産を外部のプロジェクトに投資し、その価値が消滅してしまった場合には、どんな救済措置もなく、無担保債権者に過ぎないのである。

彼らを搾取に対して脆弱にしているのは、自分のお金が実際にはそうではないのに、守られていると幻想を抱いてしまっていることだ。

そうなると解決策は、中央集権型取引所に顧客の資産を隔離し保護させ、取引所を管理する組織を厳格な監査の対象とするような、より厳格で国際的に普遍的な規制ということになるのだろうか?

しかし、私が言おうとしているのは、FTXのような組織にユーザーの保護を強いるためには、政府が必ずしも答えになるのではなく、国内規制であれ、業界規模の自主規制システムであれ、何らかの形のガバナンスが必要だということである。

ここで、歴史上の王様から教訓を学ぶことができる。アメリカにある植民地を失い、完全に気が狂ってしまった英国のジョージ3世だ。アメリカ合衆国建国の父たちは、人間が過ちを犯す傾向をはっきりと認識し、試行錯誤の末、それから守るようなシステムを作り上げたのだ。「均衡と抑制」を伴うアメリカの憲法は、歴史上最も偉大な分散化プロトコルの1つである。

暗号資産にとっての課題は、各レイヤー1ブロックチェーンプロトコルにとって最善のガバナンス慣行を見つけ出すことではなく、取引所、マーケットメーカー、トレーディングデスク、カストディアン、ウォレット提供業者など、それを取り囲むエコシステムの人間主導のメンバーすべてを対象とした、包括的なガバナンスの適切な枠組みを見つけ出すことだ。

それをすべて政府の責任にするべきか?それとも、自主規制的な業界規模の解決策があるだろうか?

解決策が何であれ、機能しているあらゆる民主制が基盤としている、アクトン卿による次の有名な格言をもとにするべきだ。

「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する。」

|翻訳・編集:山口晶子、佐藤茂
|画像:Shutterstock
|原文:Crypto’s Very Human Fatal Flaw: Hero Worship