コード vs 価値観:信頼をめぐる暗号資産の“ねじれ”

暗号資産では「トラストレス」という言葉がよく使われている。だが多くの人は、その意味について混乱している。文脈によって、複数の意味を持つ可能性のある曖昧な言葉だ。

「シュガーレス」は「シュガー(砂糖)が無い」という意味なのだから「トラストレス」は「トラスト(信頼)が無い」という意味になるはず。だが、信頼の欠如は悪いことではないのか?

実は「トラストレス」は、暗号資産エコシステムが流用し、定義を変えてしまった用語で、信頼の“必要性が無い”ことを意味する。従来の金融では、銀行を信頼して支払いを行い、預金を安全に保管してもらっている。そしてブローカーを信頼して、売買のリクエストを実行してもらっている。

一方、暗号資産では理論的には第三者を信頼する必要はない。ピア・ツー・ピアで直接取引を行い、残高の調整や、オンチェーンがすべて正常であることの検証はコードに任せている。

だが少なくとも理論的には、という話だ。実際には、仲介者を排除しても、ブロックチェーンやインターフェイスを信頼する必要がある。ネットワークの維持を行うマイナーやバリデーターを信頼する必要もある。

中央集権型取引所から暗号資産を購入したり、中央集権型カストディサービスで資産を保管してもらう場合、資産を公平に取り扱ってくれると、それらの仲介者を信頼している(残念ながら、実際にはそうではない場合もある)。分散型アプリを使う場合、コードにバグがないと信頼を寄せている(こちらもそうとは限らない)。

「信頼」をいかに評価するか?

空気と同じように、私たちの暮らしは信頼によって動かされている。それは「トラストレス」なシステムでも同じこと。私たちの社会は、どれほど分散化したとしても、信頼なしでは機能しない。コントラクトが機能し、大手暗号資産企業が崩壊し、人々がコミュニティを求めるのは、そのためだ。

だからこそ、毎年1月に発表される「エデルマン・トラスト・バロメーター」は、非常に興味深い。この信頼度調査では2000年以降、28カ国の3万2000人を対象に社会における信頼の低下を記録し、私たちの暮らしを形づくる組織に対する態度を測ってきた。

今年のメインテーマは、広がる両極化。アメリカ、アルゼンチン、スペインなどでは圧倒的多数が「きわめて分断化されており、解決策は見えない」と回答した。このシフトの主要要因の1つは「非道徳的で無能」と評価された政府と、「偏っており誤解を招く」と評価されたメディアへの信頼の低下だ。

私たちの社会の中で、唯一信頼されているという結果が出たのは「企業」だ。今年のレポートでは、市民がCEOに対して寄せる期待の高まりが浮き彫りとなった。回答者の89%が従業員の扱い方について、82%が気候変動について、80%が差別について、CEOがもっと態度を明確にすることを望んでいる。

この結果は、少なくとも重要な集団の1つが信頼されているという安心感をもたらすというよりは、多くの懸念を呼び起こす。企業の目的とは何だろうか? 投資家のために利益を上げることか、それとも特定の価値観を提唱することだろうか? 企業はどれほど政治的になるべきか? そのことでどれくらい成長の可能性にダメージがあるのだろうか?

このような期待のシフトは、先に触れたことにもつながってくる。私たちは、暮らしの中での信頼の必要性を抑えることはできず、ある分野で信頼が損なわれた場合、他の分野での埋め合わせを求める。しかし、企業に社会のガバナンスや「真実」を広げる役割を望むことは、市場を歪める結果に終わるかもしれない。

暗号資産投資のための信頼モデル

そこで、暗号資産の出番だ。暗号資産は温かみのある人間ではなく、冷徹なコードで実行されており、「より純粋な」市場体験をもたらすと考えることができる。これは正しいのかもしれない(企業の決断が収益見込みに影響を与えることなく、投資家はブロックチェーンの選択にフォーカスできる)が、特に暗号資産では、コードが価値観を具現化している。

サトシ・ナカモトは、世界の信頼の空白を埋めるためにビットコインを作ったわけではない。自らの信頼の空白を埋めるために、他の似たような考えの人たちが面白いと思ってくれると期待してビットコインを作った。

ビットコインは市場が望むものへと形を変えていくためのリーダーを持たず、市場が望むものを特定するためのマーケティング部門もない。ビットコインはユーザーを探し求めたりしていない。コードができることに価値を見出した人たちの間でエコシステムが自然発生的に生まれ、確立された市場や従来の通貨に疑問を抱く人が増えるに従って、成長していった。

ビットコインや同様の暗号資産ネットワークについて、しばしば誤解される前提は、ネットワークをツールとするような機能を実行するために書かれたコードであり、ツールには良きも悪きも多くの用途があるというものだ。例えばビットコインは、特定の価値観を念頭に作られたかもしれないが、だからと言って、そのような価値観を持たない人が使わないとは限らない。

投資家にとって、これは重要なことだ。暗号資産への投資は、ツールへの投資に似ており、そのため暗号資産は企業戦略や目標が主導する証券市場よりも、需要と供給が主導するコモディティ市場に似ている。それでも、コモディティとは異なり、暗号資産は「価値観を重視した投資」をする人たちの注目を集めるような特定の性質もある。対照的に、銅の価値観が問題になることなどない。

ナイフの規制は必要か?

さらにこれは、規制当局による評価という点でも重要であり、暗号資産では、多くの人にはお馴染みの白熱した議論が浮かんでくる。ツールを規制すべきか? それとも、その利用だけを規制するべきか? という議論だ。

ナイフは食べ物を食べやすくすることもできるし、人を傷つけることもできる。しかし、ナイフの販売を規制しようとする政治家はいない。しかしビットコインは、反規制的な精神を組み込まれて生まれた。そのため、自らの影響力の衰えを感じている人たちには懸念材料となる。

こうしたことは、暗号資産のコンセプトがまだいかに新しく、市場、規制、信頼といったコンセプトの考え方に与える影響という点では、まだ議論は始まったばかりということを改めて強調する。アルゴリズムやデータ構造、ス証券取引法や金銭的インセンティブを理解する以上のことだ。

しかし、信頼に関するレポートへの信頼を疑うことも大事だろう。とりわけ、企業を顧客とするPR企業が、企業は他の社会的フレームワークより信頼されているとする場合はなおさらだ。レポートの結論が偏っているかどうかは別としても、十分に整えられて提示されるストーリーを精査することは健全な行為だ。

これこそが、暗号資産エコシステムの究極の実用性かもしれない。ユースケースをテストし、新しい分野へと拡大しているが、障害を迂回する手段を提供したり、新しい経済ヒエラルキーを垣間見せること以上のことを提供してくれる。確立された慣例を疑問視するレンズをも与えてくれる。

エデルマンのレポートが示しているとおり、「価値観」や「信頼」は重要だ。しかし私たちは、自分たちで思っているほど、それらを十分に理解していないかもしれない。そして暗号資産などの新しいツールが、個人やコミュニティにとって何を意味するのかを考えるよう促してくれているのかもしれない。

そして、そのように考えることが、これらの根本的なコンセプトが次世代の市場や取引を形づくり、私たちのお互いとのつながりにとって何を意味するのかをより深く認識することにつながるかもしれない。

ノエル・アチェソン(Noelle Acheson)氏は、CoinDeskとジェネシス・トレーディング(Genesis Trading)の元リサーチ責任者。

|翻訳・編集:山口晶子、増田隆幸
|画像:Shutterstock
|原文:Code vs. Values: The Crypto Twist on ‘Trust’