アメリカが試すことすら許されていない(かもしれない)経済的仮説

予測市場のKalshiが、またしても米規制当局の妨害を受けている。注目されていた決定によると、米商品先物取引委員会(CFTC)は、このライセンス取得済みのベッティング(賭け)市場が、今回の選挙における(あるいはそれ以外でも)下院と上院の将来の構成について賭けるチャンスをユーザーに提供することを許可しない。

選挙結果への賭けは認められず

どうやら私たちは、民主主義の将来で賭けをすることはできないようだ。

Kalshiの提案は3体で却下された。民主党の3人の委員は、議会選挙に連動した「世界初のデリバティブ契約」を導入するという提案を認めなかった。この提案は、アメリカの選挙プロセスを損なう可能性があるとして、一部の議員やその他の関係者から反対されていた。

確かに、CFTCの判断には正当性がある。

CFTCのロスティン・ベーナム(Rostin Behnam)委員長は、CFTCが「選挙警察」になるには不適格なことを懸念しているという。CFTCは、小麦、大豆、牛などのデリバティブ契約やコモディティを規制し、きわめて重要なこれらの市場の資本形成を促進し、管轄下の資産に関連する不正や操作を取り締まる。

CFTCは資金が決して潤沢とは言えず、Kalshiが提案した「イベントコントラクト」が実行に移された場合、同機関が選挙詐欺のようなものを裁き始めれば、逸脱とも言える転換になるだろう。さらに、10以上の州が選挙に関するギャンブルを明確に禁じている。

一方、採決を棄権したキャロライン・ファム(Caroline Pham)CFTC委員は、6月に意見を表明した時にも、この提案をあまり擁護できていないようだった。バイデン大統領に指名された共和党のファム委員は、NFTプロジェクト「ストーナー・キャッツ(Stoner Cats)」の件でもパンチの効いた反対意見を述べており、一部の読者にはおなじみの名前かもしれない。

ファム委員は、市場を熱烈に擁護したり、情報市場の背後にある経済理論を哲学的に語る代わりに、CFTCが運営停止を命じた後も、連邦控訴裁判所が選挙に特化した予測市場のPredictItの運営継続を認めたのだから、Kalshiも選挙ギャンブルサービスの提供を許可されるべきだと主張した。

「両取引所が政治的コントロールコントラクトを提供するか、あるいは両取引所とも提供すべきでないかのどちらかでなければならない」とファム委員は主張した。お互い公平に行こうというわけだ。

CFTCのギャンブルに対する姿勢

しかし、もしファム委員が予測市場を愛する暗号資産(仮想通貨)ファンを代弁しないのであれば、私が代わりにしよう。

まず最初に、CFTCがこの新興セクターを監督することは理にかなっていると言いたい。予測市場は、CFTCの「バイナリーオプション」の実際的な定義とほぼ完全に一致する形で、人々が将来の結果の可能性に賭けることを可能にする。質問が投げかけられ、正しく推測できると思う人はイエスかノーのどちらかに賭けるのだ。

CFTCが「賭け」に関与したくないことも納得できる。カジノだけでなく、各州に税金をもたらす新興のスポーツベッティング産業にも悲惨な影響を与えることはさておき、価格発見と価格リスクの相殺のプロセスで重要な役割を果たす機関には賭けはふさわしくないのだ。

私はまた、CFTCが選挙賭博の問題に関して著しく(あるいは少なくともほとんど)一貫していることも認識している。

例えば2012年、CFTCはNorth American Derivatives Exchange(北米デリバティブ取引所)の「政治的イベントコントラクト」の上場申請を却下した。Iowa Electronic MarketsやPredictItがCFTCから「ノー・アクション・レター(制裁発動を勧告しないことを伝える書簡)」を受けて運営されていた年月を差し引いても、同様のルール作りが数十年前までさかのぼることは間違いない。

2020年にCFTCに登録されたKalshiのような法人と、PredictItやIowa Electronic Marketのような、大学が運営して「教育的」価値を提供していると言える可能性の高い非営利団体との間に大きな違いがあることは言うまでもない。特に、営利目的の予測市場(暗号資産ベースのものを除いたとしても)の歴史は、光と闇が交錯するものだ。

群衆の叡智

とはいえ、CFTCが規制という手段を用いて、業界としての予測市場を、それが軌道に乗る前から実質的に一掃しようとしていることには何か裏がありそうだ。ベッティング市場の背後にある心理学的、経済学的理論に何かあるのかないのかわからないが、多くの学者、企業、そしてペンタゴン(米国防総省)の国防高等研究計画庁(DARPA)までもが、ある時点で真実のクラウドソーシングというアイデアに可能性を見出してきたことは重要なことだ。

いわゆる「群衆の叡智」は、基本的には根拠なき熱狂と同じくらい受け入れられている考え方であり、集合知の何らかのバージョンは、現代金融の多くを支える効率的市場仮説の礎石となっている。

また、それほど高尚ではない理由をお望みだとすれば、選挙の予測市場が政治学者にとってきわめて有用なデータを提供することは間違いない。企業や個人が政治的リスクをヘッジするために議会選挙に1億ドルを賭けることができるようにするというKalshiのサービス立ち上げの理由が正確であろうとなかろうと、それは真実だろう。

Better MarketやPublic Citizenといった団体がKalshiの計画に反対するパブリックコメントを提出した理由もわかる。彼らは、アメリカの選挙にこれ以上マネーを関与させることは、民主主義制度に対する信頼が低下している今、選挙という慣習を質を落とすものだと主張している。また、人々が時事問題の結果に賭けることを許可することは一見、現実の大規模な金融化につながると考える人がいることも理解できる。

「AIの時代」やフェイクニュースの蔓延を引き合いに出して、カニエ・ウェスト氏が今年も神経衰弱を起こすかどうかに賭ける人がいることを擁護するつもりはないが、アメリカ人が試してみることさえ許されない理論が存在することは残念なことだ。

|翻訳・編集:山口晶子、増田隆幸
|画像:Shutterstock
|原文:Americans (Seemingly) Aren’t Allowed to Put This Economic Theory to the Test