服役中のロシア人、NFT販売で家族と受刑者仲間を支援

パベル・スカズキン(Pabel Skazkin)氏は毎朝、ロシアの国歌が流れる中、看守の命令で目を覚ます。看守は1日に4度、彼をチェックしにやって来る。

現在彼が収監されている刑務所は、大麻と薬物所持で捕まって27歳の時に送られた流刑地ほどには厳しくない。受刑者たちは、近所の街の職場に向かうために警備された敷地の外に出ることを許され、インターネットに接続したデバイスの使用も許可されている。

そのような自由な環境の中で、彼は盛況なNFT市場のおかげで、クリエイティビティを発揮する方法と目的意識、ひと月に140ドルの受刑者としての収入を補う追加の収入源を見つけた。

現在31歳になったスカズキン氏は、iPadでシュールなデジタルアートを作成し、ノン・ファンジブル・トークン(NFT)として販売。活動に使うハンドルネームPapasweedsは、自らが犯した罪、家族のストーリー、4年間の服役を経た内省を織り込んだものだ。彼のアートNFTも、自らの人生とロシアの刑事制度の在り方に対する考えを反映したものだ。

同じような苦境に苦しむ人たちを助けるために、スカズキン氏はNFTの売り上げの3分の1を受刑者とその家族を支援するNPO「Rossia Behind Bars」に寄付している。

「刑務所の中にいること、家族が出所してくるのを待つこと、どちらもどれほど大変か分かっている」と、スカズキン氏は語り、「助けになりたい」と続けた。

スカズキン氏のストーリーは、NFTをめぐる盛り上がりと投機の波が、時に、人権、家庭内暴力の被害者支援、独立したジャーナリズムといった大義をサポートする新しい方法を提供する、非常に劇的な例の1つだ。

収監されたアーティスト

スカズキン氏が将来的にNFTとなるスケッチを描き始めたのは、6年の懲役刑を宣告されて2017年に最初に送られた、故郷のモスクワから300km以上離れたブリャンスクの流刑地でのことだった。その頃収容されていた施設では、あらゆる電子コミュニケーションやデバイスは禁止されていた。

服役し始めてから3年、スカズキン氏は減刑の申し立てが認められ、現在服役中のブリャンスクにある別の施設へと移動した。そして即座に、作品をデジタルアートへと転換し始めたという。

刑務所にインスピレーションを受けた最初のNFTは、主要NFTプラットフォームであるイーサリアムよりも手数料の低いブロックチェーン「テゾス(Tezos)」上で展開される、知名度の低いNFTマーケットプレース「Hic et Nunc」でそこそこの値段で売れた。

このようにしてスカズキン氏は、ロシアのNFTコミュニティーの仲間入りをし、今年ロシアのオンラインメディア「Meduza」支援のためにNFTを販売したアーティストの一団「NFT Bastards」のテレグラムグループにも加わった。

当時、NFTトレーダーのイリア・オルロフ(Ilya Orlov)氏はチャットの中で変わったアーティストのスカズキン氏に気付き、助けたいと考えたという。

「(ロシアで)最初に変える必要があるのは刑務所だ」と、オルロフ氏はスカズキン氏との共同インタビューで語った。

「このような形で自国民を苦しめている限り、何も良い方向には変わらない。(ロシアの流刑地での拷問についての)情報が表沙汰となった今こそ、この問題について人々の関心を集める必要がある」とオルロフ氏は語った。彼が言及していたのは、最近公となった、ロシア流刑地の1つで拷問される受刑者の残酷な動画のことである。

オルロフ氏は、スカズキン氏のNFT作成に資金提供を行なっている。ひと月140ドルの受刑者としての収入では、イーサリアム上でNFTを作るためのネットワーク取引手数料(いわゆるガス代)も賄えないのだ。

彼らはスマートコントラクトをプログラミングして、NFTの売り上げを自動的に3分割。33%はPapasweedsが妻や3人の子供のために受け取り、33%はサポートするオルロフ氏に、33%はRussia Behind Barsに渡るようにした。

オルロフ氏は、Papasweedsは非常に有望だと考えている。「西欧の人々は、ロシアにおける痛みや苦悩に価値を見出し、尊敬さえしている。だからドストエフスキーも人気だ」とオルロフ氏は語る。「(スカズキン氏とは)自由の身になったら、アメリカのビザを申請して、ニューヨークで展示会をしようと話している」

2年後に釈放されたら、72(66+6)のNFTを作成する計画だと、NFTアーティスト向けの権威ある招待制プラットフォームFoundationのページにスカズキン氏は記している。

666は聖書によると獣の数字とされているが、スカズキン氏にとって66+6は単に素敵な数字に思えるそうだ。当初は釈放までに666のNFTを完成させる計画だったが、2023年の釈放まででは時間が足りないと気づいた。そのため、666から66+6にしたのだ。

大麻所持で逮捕

スカズキン氏は2017年、あまり成功していないウェブデザイナーで、同じ年にロシア当局によって閉鎖された人気ダークネットマーケットプレース「RAMP」上の違法オンラインショップで働いていた。彼はある日、大麻を受け取り、小口でオンライン販売を行う売人に渡すために雇われた。

スカズキン氏はその大麻を所持しているところを警察に捕まり、麻薬密売の罪で6年間の刑期を宣告された。検察側は10年を求刑したが、3児の父であるスカズキン氏に言い渡されたのは懲役6年だった。

裁判に必要な書類の作成を助ける弁護士もいなかったが、減刑の訴えに成功したと、スカズキン氏は語った。(このコメントは、Russia Behind Barsのオルガ・ロマノバ氏によって確認が取れている)

「刑務所の図書館で勉強し、法律を読み込んだ」と、スカズキン氏は振り返る。

ハンドルネームについて尋ねると、いくつかの言葉を組み合わせたものだと、ズカズキン氏は説明する。「papa(パパ)」というニックネームは、3児の父になった後に彼の定番となった。

スカズキン氏の犯した罪を指す「weeds(大麻)」は、実は2重の意味を持っている。ロシア語のスラング「kosyak」は、大麻を表すとともに、大きな失敗も表すのだ。

スカズキン氏は、自身が犯した罪や刑務所での経験について隠し立てせずに語る。刑務所に送られたのは、間違いなく当然であったと、彼は言う。しかし同時に、判決は厳しすぎたとも感じている。

Foundationに発表した最初のNFT「Hall of Shame(不名誉の殿堂)」は、裁判所で泣く子供と裁判官を描いたもので、自らの裁判の記憶をもとにしている。

「おやつを盗んで罰せられている子供のような気持ちだった。できることは何もないのだ。話すことはすべて、赤ちゃん言葉のように聞こえた」と、彼は振り返る。

ロシアの刑務所で過ごした数年は、厳しい経験であったが、より良い人間へと変えてくれたと、スカズキン氏は次のように語った。「自分の頭をきちんと整理することができた。多くのコンプレックスや無駄な考えを捨て去り、もっと自覚のある人間になった」

しかし、その代償は大きなものであった。

彼が3年を過ごした流刑地は、ロシアでも最も残酷な刑務所の1つとして、受刑者が暴行や拷問を受けることで悪名高い。

「かなり屈辱的な学びの場だった」と、スカズキン氏は語る。

ダークネット教育

スカズキン氏が初期に暗号資産(仮想通貨)のコンセプトに慣れ親しむことができたのは、ダークネットで働いた経験のおかげだ。2017年には、すでにビットコイン(BTC)を保有していたと、彼は語る。

刑務所では、紙の新聞や雑誌、受刑者が見ることを許されていたロシア国営テレビでまれに言及された時、あるいは面会に訪れる家族からしか、暗号資産のニュースを得ることはできなかった。

「2017年、ビットコインが値上がりしていくのを見て、イライラしていた。刑務所にいたからだ」と語るスカズキン氏。今年の2月、彼は雑誌『Popular Mechanics』誌を読んで、有名なミームをモチーフにしたNFT「Nyan Cat」が当時約59万ドル相当の300イーサ(ETH)で売れたことを知った。

「このNFTっていうのは何だ?と思った。暗号資産なら知っているし、ビットコインウォレットは持っていたが、NFTには絵も関係するようだった」とスカズキン氏は振り返った。インターネットに接続できるようになったらすぐ、自分でもNFTを作ることを決意した。

NPO「Russia Behind Bars」のトップ、オルガ・ロマノバ(Olga Romanova)氏は、同団体が暗号資産の寄付を受け付け始めて5年になり、現在寄付全体の30%が暗号資産で寄せられると語った。公式ウェブサイトによれば、Russia Behind Barsでは、ビットコイン、イーサ、ライトコイン、XRPでの寄付を受け付けている。

しかし、NFTは同団体にとっても新しいものだ。

「自分がデジタルアートを理解しているとは言えない。問題を起こしたがめげずに成長を続け、家族や他の受刑者たちを支えようと努力する人たちのことなら理解している」と、ロマノバ氏は話す。「こんなことは頻繁に起こることではなく、それだけでも関心やサポートに値する」

|翻訳・編集:山口晶子、佐藤茂
|画像:Shutterstock.com
|原文:This Imprisoned Russian Artist Is Selling NFTs to Support His Family and Fellow Inmates