プロフィール画像NFTは暗号資産アートを苦しめている【コラム】

現在のNFTプロフィール画像のブームの中でアンディ・ウォーホルが生きていたら、あらゆる人のためのアートと、自身の作品である「キャンベルスープの缶」の継承者と考えて熱心に関わっていたはずだ。

コードによってまとめられた実もないイラストを、壮大な限定コレクションへと引き上げるために企図されたブームなのだという事実は、彼を喜ばせるかもしれない。そしてそのように考えたとしても、彼は正しいのだ。

NFT(ノン・ファンジブル・トークン)投資家に超人気となったジェネレーティブアート(アルゴリズムによって生成されるアート)の一形態として、プロフィール画像は、ぴったりのタイミングで登場してきた。

芸術の分散化

結局のところ「アート」というものは、デイトレーディングというストレスの溜まる世界に、少しの楽しさをもたらす便利な原資産に過ぎないのだ。

もう一つの事実(事実ではない事柄を、代替事実として擁護するために使われる言葉)や、ひとまず今日は真実とされることで溢れるこの新しい勇敢な世界には、特にピッタリのブームである。

顔の見えない人間たちが、人にバーチャルのMr.ポテトヘッドにお金を投じさせるための方法を、巧みに思いついたのである。人気NFTのBored Apeの画像には、確かに魅力があることは私も認めるが、それは違法ドラッグも同じことだ。

2020年までには、NFTの世界はすでに、あらゆる詐欺師の遊び場という評判を手にしていた。何がアートとされるかに関する、笑ってしまうほどゆるい基準と、制限なく複製可能なJPEG画像と比べた場合の希少性という曖昧なコンセプトのために、多くの人は分散化を芯まで詐欺的であると誤解してしまったのだ。

しかし、最も有害な欺瞞は、アートが「見る人によって決まる」ものであり、アートには質的な差異が存在することを示唆するような評価を免除されるという、究極の分散化のコンセプトであった。みんなが専門家という名の、専制政治の世界へようこそ。

マーケットプレイスからの報酬目当てに自分で自分にNFTを売却するウォッシュトレーディングや、無価値な画像に価値を当てがうようなその他の不正な手段も相まって、どんな画像にも金銭的な価値を割り当てることができるということになり、そもそも価値なんて気にしない人や、分別のない人たちによって、莫大な利益を上げるために価値が吊り上げられ、画像が喜んで取引されることとなった。

結局のところ、良質なアートが本当に何を意味するかを分かっている人なんてほとんど存在せず、人々は内輪の人間の仲間入りをすることを切望していたのだ。

BAYCの登場

しかし、そこに「Bored Apes Yacht Club:BAYC」が登場した。Bored Apesは、そんな低レベルな詐欺師たちと競争しようとはせず、マルチ商法や、フェイスブックなどの人の心を操作する天才たちが完成させ、大衆化した手法を適用するという、素晴らしく考え抜かれた戦略を採用したのだ。

彼らは作られた希少性と、適役な人々による相応しい盛り上げを利用して、ヒステリックな「FOMO(機会を逃すことへの恐怖:fear of missing out)」の波を生み出し、その波は新しい買い手、新しい値段がつくたびに大きくなっていった。

私がApesの成功を妬んでいると誤解しないで欲しい。Bored Apesのプロフィール画像に支払われた大量のお金が、真剣なアーティストをサポートするために使われなかったことは残念だが、彼らがお金や成功を手にすることは構わない。

しかし、Apesが考えもせずにNFTアートコミュニティ全体に対してしたことに関しては、文句がある。開発者たちは明らかに、アートやアーティストのことなど気にもかけず、そもそも彼らのプロジェクトを可能にしたコミュニティに対する責任を回避した。

真剣なアートコレクターや一般の人たちの目にはすでに笑い種となっていたNFTは、最後のとどめになるかもしれない一撃を受けたのだ。Apesやその他の人気NFTにまつわるメディアでの盛り上がりが、さらに追い打ちをかけた。NFTというタグがついているという理由だけで、ブロックチェーンと名のつくあらゆるデジタルアートに、Apesのような香りが充満してしまったのだ。

悲しいことに、デジタルアート最大の市場は今や、芸術的重要性を欠いたガラクタ画像に場所を譲らなければならなくなっている。最新のアートNFTをめぐるメディアでの盛り上がりが押し寄せ続けることによって、一般市民の見解が形作られる限り、偉大なデジタルアートは奈落の底に突き落とされ続けてしまう。

一筋の希望の光

しかし、驚くような希望の光も差している。アートNFT全般が注目されているおかげで、ますます多くの美術館や伝統的アートコレクターが、彼らが関心を持つに値する正当で価値ある新しいジャンルとして、NFTという手段に注目するようになっているのだ。

洞察力に溢れた投資家、Bored Apesを通じて最初にNFTに関心を持ったような人でさえも、生まれて初めてアートをよりしっかりと見るようになっている。

BAYCのようなプロジェクトは、アートNFT全集に注入された強力な造影剤のような働きをし、原資産としてのJPEGというポーカーのチップと、デジタル芸術との間の境界線を正確にすることに役立っている。

その境界線が極めて明確に引かれた今、アートを愛する人たちが、非常に革新的なデジタル作品を見せたり、売買するための安全で魅力的な空間を生み出すという仕事は、NFTコミュニティの真剣なアーティストと、マーケットプレイスのインフラを提供するプラットフォームに託されている。

真剣なアーティストの一人として私も、待ちきれない気持ちだ。

|翻訳・編集:山口晶子、佐藤茂
|画像:人気NFTコレクション「Bored Ape Yacht Club」
|原文:Profile Pic NFTs Are Suffocating Crypto Art