希少性ゼロの時代はすでに始まっている【オピニオン】

ブロックチェーンと経済の世界で現在、最も熱い議論が交わされている話題の1つは、インフレと金利、そして経済の未来にまつわるものだ。多くの人は、低金利と量的緩和の組み合わせから、将来的なインフレはほぼ確実と考えており、そこに暗号資産(仮想通貨)投資の根拠を見ている。

金利がお金の「コスト」を表すと考えれば、ゼロに近い金利はある意味で、お金が無料、あるいはほぼ無料であることを示唆している。結果的に、人々がお金を使い過ぎるリスクがあり、消費者が供給の限られたモノを追い求める中でインフレへとつながり、価格の上昇に対してお金の価値は下がる可能性がある。

供給は無制限?

しかし、モノの供給が限られていないために、多くの場合その想定自体が間違っていたとしたらどうだろう?

私の住むサンフランシスコのベイ・エリアでは最近、電気自動車と自動運転の試験車両が当たり前のように走っている。中国では、何年も現金を使っていないのではないだろうか。

一部の地域が他の地域に先駆けているだけではなく、私たちの生活の中でも、他より先を行っている分野がある。存在するほぼあらゆる音楽に瞬時にアクセスできるだろうか?答えはイエスだ。混雑することで悪名高い車両管理局で、すばやく手続きを済ませられるだろうか?これに関しては、私が生きている間はおそらく無理だろう。

進展は不均衡かもしれないが、私たちの多くが、少なくとも部分的には、供給が無限な脱希少性の世界に生きていることはますます明らかになっている。

未来研究家たちは、その可能性についてすごく長く議論しており、すごく先のことに思えていたので、そのゆっくりとだが着実な到来に気づけていないのかもしれない。

SFの世界では、潤沢な未来はしばしば、物理的な製品が無限に存在する場所として描かれてきたが、実際にはデジタルサービスと、無料ではないがかつてないほど安価な製品が無限に存在する時代として到来している。

その結果として、未来はほとんど気づかないうちに、私たちに忍び寄っているのだ。人類の歴史の中では、私たちは常に欠乏の中に生きてきた。食料、住居、暖かさ、教育。どんなものであっても、全員に行き渡るほど十分にあることは決してなかったのだ。

多くの人にとって現在、世界の様相は異なっている。消費するモノのますます多くが、実質的に無限に供給されているのだ。例えば、短尺の動画は無限にありそうだ。どれだけ多くの動画を観ても、すべてを消費することは決して出来ず、あなたが観ることで他の人から動画を奪っている訳でもない。

デジタルグッズは、限界コストゼロで真に無限の供給をもたらせるという点で独特であるが、それ以外の製品やサービスもゆっくりとだが確実に、同じ方向に向かっている。

新しいテレビや家のコストがゼロになることは決してないかもしれないが、継続的に上がり続ける労働者の生産性のおかげで、常により安価な方へと向かっている。多くの場合、最終的には、実際的にはほぼ無料と言っていいほどに安価になるだろう。

さらに、デジタルテクノロジーの「コストゼロ」という側面が、徐々に他のあらゆる業界に影響を与えている。ガソリンを燃料とした車は、毎分何千という小さなガス爆発が前進させてくれる複雑な機械システムであり、死んだ生物から作られる原油に頼っている。

一方の電気自動車は、バッテリーと車輪のついたスマートフォンのようなもので、その価値の大半は、限界コストがゼロのソフトウェアという形でもたらされる。電気自動車に使われる電力は太陽から作ることができ、太陽ならあと数十億年は安泰だろう。

「コストゼロ」の新時代

経済のデジタル化によって、ここ50年で消費の仕組みが大幅に加速したことを考えると、「コストゼロ」市場は新しいもののように見えるかもしれない。

しかし、より長い目で見てみれば、ますますコストの下がる方へと向けたこのトレンドは、実際にはかなり昔に始まったという説得力のある証拠が存在する。

どれほど昔か?イングランド銀行の客員研究者ポール・シュメルジング(Paul Schmelzing)氏の最近のレポートによると、約800年前である。1300年代には一般的に約15%だった金利が、数世紀を経て、ゼロに近い金利へと移行していったのだ。

シュメルジング氏が正しいとすれば、現在の「フリーマネー」の状況は、世界的な不況とパンデミックによってもたらされた一時的なものではなく、この先の世界経済の普遍的な特徴となるだろう。

そうだとしたら、そのような脱希少性の時代に、世界がどのようなものになるかを考え始めた方が良いかもしれない。お金がタダで、低金利が経済の多くの分野でインフレを促進しないとすれば、お金を常に多くの人に配ることは、完璧に合理的なアイディアなのかもしれない。

このようなシフトの結果は大規模だが、予測できないものとなるかもしれない。サプライチェーンのボトルネックに直面した希少なモノは値上がりしているが、デジタル製品やサービスの多くはそのような希少性の圧力に直面することなく、相対的にさらに安くなっている。

それはつまり、さらなるデジタル消費へのシフトを意味するかもしれない。逆に、本当に希少なものにより多くのお金が向けられ、不動産などの分野での値上がりが加速するかもしれない。「土地を買っておけ、新しく作られることはないのだから」という格言が示す通り。

脱希少性の世界が到来しており、私たちは経済の見方、それと並んであらゆるテクノロジーの価値提案をそれに合ったものへ転換としていく時なのだ。

コンピューターによる演算のコストがゼロに近いおかげで存在するブロックチェーが、効率的に希少性を管理するための主要な仕組みの1つとなるはずだ。私たちの経済の未来におけるブロックチェーンテクノロジーの役割は、かなり確実なものになるだろう。

ポール・ブローディ(Paul Brody)氏:EY(アーンスト・アンド・ヤング)のグローバル・ブロックチェーン・リーダー。
※見解は筆者個人のものであり、EYおよびその関連企業の見解を必ずしも反映するものではありません。

|翻訳・編集:山口晶子、佐藤茂
|画像:Shutterstock
|原文:We Are Already Living in a Post-Scarcity World