平成の仮想通貨史㊤20年の試行錯誤経て産声あげたビットコイン

1989年1月8日に始まった平成は、間もなく幕を閉じる。平成の30年ではメガバンクの誕生やフィンテックの勃興など、金融業界でも絶えず変化があった。そして仮想通貨の誕生と成長も、平成の金融ニュースの大きなトピックであろう。CoinDesk Japanは3回に分けて、平成の仮想通貨史を振り返る。

平成元年創業のデジタル通貨企業

多くの人は、仮想通貨と言えばビットコインを思い浮かべるだろう。しかしビットコイン以前に、デジタル通貨の試みは始まっていた──

平成元年(1989年)、デイビッド・ショーン(David Chaum)はディジキャッシュ(Digicash)社を創業した。ショーンは1982年にブラインド署名を使った匿名電子通貨を提唱しており、同社は平成7年(1995年)、「eキャッシュ」を発行した。

このイノベーションは日本にも影響をもたらした。MITメディアラボ所長の伊藤穰一は「これからはデジタルキャッシュだ」と、デジタル通貨の世界に傾倒したことを明らかにしている。伊藤は当時、eキャッシュを使って買い物ができるWEBページを立ち上げた。

しかしeキャッシュは短命に終わる。平成10年(1998年)にディジキャッシュ社が倒産すると、eキャッシュも使用できなくなった。中央管理者がいる通貨は、中央管理者と運命を共にしてしまうからだ。

絶え間ないイノベーション

平成9−10年(1997−1998年)には、さまざまな技術提案がされた。アダム・バック(Adam Back)は電子メールにスパム耐性をつけるため、「ハッシュ・キャッシュ」と呼ばれる、CPUの演算を必要とするPoW(編注:プルーフ・オブ・ワーク。作業量による証明)を考案した。この技術はビットコインにも採用される。ニック・サボ(Nick Szabo)は、「ビット・ゴールド」というデジタル・キャッシュを考案した。

直接的にビットコインにつながる提案もあった。平成10年(1998年)に、マイクロソフトの技術者だったウェイ・ダイ (戴维)が発表した「bマネー」である。ダイは「交換の媒介物と契約を強制する方法を提供することで、追跡不能な仮名の主体同士が、より効率的に協働することを可能にする」仕組みであると説明した。bマネーは、ビットコイン論文の参考文献において、一番上に挙げられている。

謎の人物、サトシ・ナカモト

サトシ・ナカモトという匿名の人物がいる。

男なのか女なのか、個人なのか集団なのかも不明。現在までさまざまな人物が「私がサトシである」と主張するも、確証を示せていない。彼こそビットコインを発明して、その構想を実現に貢献したキーマン中のキーマンである。

サトシは平成20年(2008年)、いわゆるビットコイン論文を発表した。簡潔で的を射た論文は、副題に「P2P電子キャッシュ・システム」とある。サトシは既存の技術を組み合わせて、二重支払い問題などの不正なく、第三者を信頼する必要もなく、P2Pで通貨をやり取りできる仕組みを作った。

この論文では、ブロックチェーンという言葉は用いられていない。サトシが用いたのは、タイムスタンプサーバーという言葉だ。ブロックごとに連鎖的に前ブロックのハッシュ値を格納していく。そうして全世界で一つのタイムスタンプサーバーが参照される仕組みを作った。

取引の真正性を保つのはマイナー(採掘者)だ。ブロックのマイニングに成功すると、マイナーは規定のビットコインを得られる。大量のハッシュパワーを使って不正をするよりも、正直にマイニングした方が利益が得られる。利己的に動いた結果、システムとして自律的に不正がなくなっていくインセンティブ設計を、サトシは作った。

公開鍵暗号方式で利用者は電子署名をする。その署名されたトランザクションは、P2Pネットワークに伝搬される。10分ごとのブロック間隔で、マイナーたちが競争し、タイムスタンプサーバーをつなげていく。これがビットコインの全体像だ。

サトシは、平成21年(2009年)1月4日、ビットコインのジェネシス・ブロック(最初のブロック)を作った。現在まで続く、ビットコインのブロックチェーンの始まりである。仮想通貨史は、ここに産声をあげた。<中に続く

文:小西雄志
編集:浦上早苗
写真:Shutterstock