デジタル希少性時代のアート:NFTが私たちを魅了する理由【オピニオン】

デジタル希少性時代のアート:NFTが私たちを魅了する理由【オピニオン】

先週、クレジットカード大手のVISAが、金融の歴史コレクションに加えるために「クリプトパンクス(CryptoPunks)」のNFTを購入したと発表した。これを受けて私は、これらの奇妙で小さな8ビットのデジタルトークンは、宝石やスポーツカーなどの高級ステータスシンボルが買われるのと同じ理由で価値を見出されていると指摘した。

しかし結局のところそれは、「それらは価値を見出されているから価値がある」と言っているのと同じことで、より深い理由の表層に触れているだけのことだ。

ビットコイン(BTC)の話をしているのならば、それでも十分だ。なぜなら通貨だからだ。「私たちがそうだと合意するから価値がある」というのは、通貨のデザインに組み込まれているものだ。

しかし、コレクション品やステータスシンボルの場合には、価値の根幹が見つかるものだ。ダイアモンドや絵画は美しく、フェラーリは速い。30万ドルのリザードンのカードは、理論的にはポケモンのゲームに勝たせてくれる可能性がある。これらには価値が内在しており、その希少性によりその価値が最高潮に達するのだ。

それでは、より難しい問題を考えてみよう。NFTからステータスの価値をのぞいたら、何が残るだろうか?

私たちの合理的脳には意味を成さないように見えるかもしれないが、NFTの魅力は明らかに、強力なものだ。オープンシー(OpenSea)などのプラットフォーム上で爆発的に増えている取引高や、NBA Top Shotやクリプトパンクスといったコレクション品の成功を見てみれば、その数字が物語っている。

しかし、暗号資産界の大半のものと同様、実際に飛び込んでみて、試してみるまでは、本当に何が起こっているかを理解することはできない。そこで私は、メタマスク(MetaMask)ウォレットに新たにイーサ(ETH)を入れて、オープンシーに行ってみた。自らの哀れな姿をツイッターアイコンにしている惨めな庶民ではなくなるよう、期待を込めて。

NFTショッピングに最も似ているものとして私が思いつくものは、レコードの買い物をしている時の感覚だ。レコードショップにいる時の私は、大半の時間をレコードを買わない理由を考えるのに費やしている。

なぜなら、すべてのレコードには何らかの魅力があり、好きなだけ買えるならば、私はすべてのレコードを所有したいからだ。同様にNFTも、流行の商品に飛びつきたい、デイトレーダーのムズムズするような衝動とは異なる、ある種の執着を引き起こすのだ。

NFTを買うことで得られるその特別な何かとはなんだろうか?そしてそれが、デジタルコレクション品に対する需要とその価格付けにどのような影響を与えるのだろうか?

大切なその疑問に答えるために、NFT投資家や業界のリーダー、そして1世紀近く前に亡くなったドイツの哲学者から助けを借りてみた。

私がたどり着いた仮説を手短に説明しよう。

実世界においては、モノの真正性が、所有者が手にするステータスの根幹となっている。真正性とは大まかに言うと、モノの歴史ということだ。その歴史は、単独であっても、伝統やブランド、アーティストと関連するものであっても、収集することを多くの人にとって非常に満足できる体験にしてくれる言いようのない魅力の源なのだ。

NFTはそれ自体で価値あるものであり、完全に新しいカテゴリーの存在だ。これまでは実世界のモノに限定されていた、存在、歴史、そして真正性を、デジタルなモノが主張できるようにしてくれるからだ。

他の条件が同じとしたら、歴史がより深く、より興味深いほどに、真正性のオーラもより深くなり、所有者が手にするステータスも大きくなり、そしてそれに対して払っても良いと人々が考える価値も高くなる。

しかし、これらすべては感じ方におけるシフトに依存している。そのシフトは現在進行中であり、ブロックチェーンテクノロジーに対する評価の高まりが基盤となっている。一定数の人が、デジタルのモノを本物として見ることができるようになる必要があるのだ。

ステータスゲーム

深い価値を理解するのに適した出発点は、実際にどのように使われているかを見ることだ。では現在、人々は実際にNFTをどのように利用しているのか?

影響力のあるコレクターたちの間で最も目にする使い方は非常にシンプル。ツイッターのアイコンだ。

NFTにはいくつかのタイプがある。メディアの見出しを飾ったものの一部は、単独のアート作品である。NBA Top Shotのような純粋なコレクション品に対する需要も大きく、カードやバーチャル世界での「土地」といったゲームアセットに対する市場も拡大している。

しかし、本当に熱狂的な盛り上がりに向けたクリティカルマスが起こっているのは、アニメのような顔の画像だ。ジェイZは先日、クリプトパンクスを自らのツイッターアイコンにして話題となり、NFLプレイヤーのオデル・ベッカム・ジュニアがすぐに後に続いた。

暗号資産関連のツイッターの世界に5秒飛び込むだけで、人間の顔があるだろうと見込まれるアイコン部分に、あらゆる種類のNFTを目にすることができる。

もちろん理論的には、NFTのスクリーンショットを使って、それをツイッターのプロフィールに組み込むこともできる。しかしそれは、大いなる無作法とみなされる。

「『何でそんなことするんだ?』という反応を受けるだろう」と、NFTとNFTインフラに特化した投資ファンド、ファンダメンタル・ラボ(Fundamental Labs)のヘンリー・ラブ(Henry Love)氏は述べる。

NFTをアイコンに使うということは、それを保有しているということを「暗に示す」ものだとラブ氏は指摘する。そのような規範を強制する技術的仕組みはないにも関わらずだ。

「信頼性を獲得したいのが、ツイッターという場だ」とラブ氏。「それがツイッターの在り方なのだ。だから自分が保有していないフェイクのNFTやクリプトパンクを(アイコンとして)使ったら、長期的には信頼性に傷がつく」

このような暗黙の了解を通じて、ツイッターをはじめとするオンラインスペースに、今後技術的に組み込まれる要素となるかもしれないものが非公式で生まれようとしているようだ。

例えば、ユーザー自身のイーサリアムアドレスに保有されているNFTしか表示しないようにコーディングされたプラットフォームができれば、より幅広いコミュニティーに対して、その真正性がずっとはっきり示されるだろう。

これが、NFTの価値にまつわる疑問のレイヤー1といったところだ。「この画像にはそもそもなぜ価値があるのか?それは『自己顕示的』な有用性のためだ」と、NFT界のリーダー的存在「gmoney.eth」は先日、コメントした。NFTの価値がより高かったり、希少であればあるほど、それがもたらすステータスも高くなる。

しかし、それでは次の質問の答えとはなっていない。なぜそのようなことに我々はこだわるのか?

ヴァルター・ベンヤミンと写真の脅威


哲学者ヴァルター・ベンヤミンは1892年生まれ。芸術の世界における大きな技術革命にちょうど間に合った形だ。

印刷機やリトグラフの誕生からはすでに時間が経っていたが、写真や映画が一般的になったのは19世紀後半から20世紀初頭にかけてのことだった。1850年以前には、実物の前に立たずには、『モナ・リザ』を大まかに描写した以上の何かを目にすることは不可能であった。

しかし、ベンヤミンが活動の全盛期を迎えていた頃には、モナ・リザのポストカードは安価で手に入り、ダヴィンチの創作風景を描いた無声映画を見ることもできた。

ベンヤミンは、このような変化に魅了されながらも、困惑していた。とりわけ、写真による複製が、実物の魅力や興味深さを減じるものなのか疑問に思った。コピーが幅広く手に入ることで、実物がその固有で言いようのない魅力を失ってしまうのではないかと懸念したのだ。

「機械による複製の時代に弱まるのは、芸術作品のオーラである」と、1935年の評論『複製技術時代の芸術』にベンヤミンは記した。この著作は現在でも、技術時代における芸術と人間の関係を論じた最も影響力のある作品であり続けている。

それから1世紀。「オリジナル」の力はあせていないように思える。2018年には、世界中から1000万という驚くほどの数の人たちが、『モナ・リザ』を実際に見るためにルーブル美術館を訪れた。クリック1つで、無料の高解像度のコピーにアクセスできるのにも関わらずだ。

オリジナルの作品にこのようなとてつもない魅力を与えるのは何かと、ベンヤミンは問うた。実物の作品の重要性の一部は、絵画そのものの光や質感という絶妙さと関係があるのだろう。

これらは現在、バーチャルで複製することは不可能であり、実物に本当に取って代われるほどのニュアンスを持って複製することは、永遠に不可能なのかもしれない。しかしそのようなニュアンスは、大半の美術館訪問者の理解を超えたものであり、ベンヤミンも、そこが本当に重要とは考えなかった。

本物のNFTが放つオーラ

それでは、オリジナルの芸術作品の「オーラ」とは何なのか?

「芸術作品の最高に完璧な複製であっても、1つの要素が欠けている。時間と場所における存在。置かれることになった場所における、固有の存在感である。芸術作品のこの固有の存在感は、その存在期間中に影響を受けることになる歴史を決定する。これには、長年における物理的状態の変化や、所有者の様々な変化も含まれる」と、ベンヤミン氏は記した。

この点は、NFTの魅力を理解するのに極めて重要だ。デジタルメディアの1つを、その連続性を確実にし、所有権を追跡するブロックチェーンにつなげること。

連続性や所有権は、オリジナルの芸術作品の「オーラ」を支え、複製より魅力的で価値のあるものにすると、ベンヤミンが主張したものだ。芸術作品の素晴らしい力にとって重要なのは、場所と時間をまたいだ経過の歴史なのだと、ベンヤミンは語った。

このオーラこそが、イーサリアム上のNFTとハードドライブにあるJPEG画像を隔てるものだ。しかし、絵画のオーラとは大いに異なる形で。NFTは確かに、キャンバスに苦心して手描きされたものではないが、何かのコピーでもない。

もちろんNFTとなったアートは、アーティストのコンピューター、そしてどこかのサーバー上に存在しており、コンピュータースクリーンというメカニズムによって「複製」されたものだ。

それは、ベンヤミンの時代の映画館のスクリーンとあまり変わらない。しかし、NFTの本物さ(気取った言い方をすれば存在論的地位)は、画像ではなく、時間やサイバースペース内の場所において継続的な存在を守る台帳へのエントリーにかかっているのだ。

つまりブロックチェーンが、デジタルのモノに歴史と存在を与えることで、オーラを与えているのだ。

しかし、このような歴史と存在の感覚は、慣れ親しんだ実世界のロジックに従っては作用しない。

NFTのオーラが、あなたの類人猿的脳に対して影響力を持つためには、その固有性を保証するテクノロジーをある程度認識している必要がある。ブロックチェーンエコシステム全体と、それを支えるテクノロジーの組み合わせをある程度理解していなければ、NFTは単なるJPEG画像に見えるだろう。

これは奇妙で賛同できない考えのように聞こえるかもしれないが、新しいものではない。

「世界の見方」における同様の変化は、メディアテクノロジーの大きなシフトのたびに起こってきた。駅に列車が入ってくる初期の短編映画を上映した時に、観客がパニックを起こして暴走したという、伝説的な逸話は有名だ。2次元と3次元の世界の違いが、彼らにはまだ分からなかったのだ。

この逸話の真偽のほどは定かではないが、現実との独特の関係性の中で映画を「見ることを学ぶ」プロセスをよく表している。そしてこれと似たような変化が現在、デジタルの世界で起こっているのだ。

「40歳未満の人のデジタルなモノに対する反射的反応は、本物ではないというものではない」と、テックスタートアップのインキュベーター、アイディアラボ(IdeaLab)でディレクターを務めたウィリアム・キグリー(William Quigley)氏は語った。同氏はビデオゲームアイテム向けのマーケットプレースを構築した後、コレクションNFTのためのブロックチェーン「WAX」を開発した。

キグリー氏は、NFTが発明される前から、デジタルのモノに一部の人たちがどれほどの価値を見出していたかをしっかり把握していた。そして同氏は現在、NFTテクノロジーの安全性が、その魅力をさらに高めているのを目の当たりにしており、将来的には真正性のオーラが買い手に対してさらなるパワーを持つようになると予測している。

「アートを買うといったら、どこに掛けるかを心配しなければいけないキャンバスに描かれたものではなく、デジタルのものを考えている人たちがいる。アートのビジネスにいるなら、そういった層の人たちのことを考えた方が良い。実際の芸術作品は、この先30〜40年であまり求められなくなるのではないかと思う」

個人的には、キグリー氏は少し誇張しているような気もするのだ。NFTの歴史が、実物の絵画の歴史よりも興味深さの点で劣るのはほとんど避けられないことであろうから。

ブロックチェーンシステムが運ぶ情報の量は、比較的少量であるため、「現実というプレミアム」は存続し続けるだろう。複製によって、より多くの人が実物の『モナ・リザ』を見てみたいと思うようになったのと同じような形で。

しかし、クリプトパンクスにつけられた価値の高さ、その高まりを見れば、歴史の力がすでに効いているのは明らかだ。ジェイZが、自らが保有するパンクを売ることにすれば、彼が所有したという事実が、その価値を将来にわたってさらに高めるのは間違いない。

逆に、クリエーターが保有しないアートやIPを利用した海賊版NFTは、長期的価値を維持することがより難しくなるかもしれない。完全に非技術的な理由ではあるが、「真正」ではないからだ。

何が正当で望ましいかをめぐっては、そのほかの基準も登場してくるのは間違いない。絵画の「オーラ」は結局のところ、物理的な現実と同じくらい、社会的コンセンサスにも依存しており、NFTをめぐるコンセンサスも同じように形づくられるだろう。

しかし、究極的にすべては1つのものにかかっている。今や初めてデジタルの世界で体験できるようになった連続性と歴史の感覚である。

|翻訳・編集:山口晶子、佐藤茂
|画像:Sergei Elagin / Shutterstock.com
|原文:Art in the Age of Digital Scarcity: Why NFTs Enchant Us

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