小規模農場を経営するアフリカの多くの農家にとって、欧米や日本で売られる保険の役割は小さい。ケニアでトウモロコシやサトウキビを育てる農家は、前ぶれもなく農地に襲いかかる異常気象に対してどうすることもできない。
1カ月に1ドル以下の保険料で加入できる、農家向けの気候変動保険などというものがあれば話は別だが、保険会社や販売代理店など多くの仲介業者で構成される西側の保険業界にとっては、割に合わないビジネスということになる。
ならば、ブロックチェーンを基盤技術にする暗号資産(仮想通貨)や、チェーン上で機能する金融サービス(DeFi)の仕組みを使えば、従来のコストを極限まで下げ、アフリカの農家に向けた安い「デジタル保険」を作ることができるかもしれない。
この取り組みを始めたのは、2015年に米国で誕生した保険会社で、ソフトバンクグループが出資するレモネード(Lemonade)だ。2020年にニューヨーク証券取引所に上場した同社は、従来の保険業界の仕組みを変え、保険会社とユーザーとの間に存在する仲介業者を介さず、AIを積極活用したピアツーピアの新しい保険の仕組みを作ろうとしている。
気象データと収穫量の変化をスマートコントラクトに送る
レモネードは、完全に独立した非営利団体のレモネード財団を設立し、米銀大手やゲーム会社などが採用するブロックチェーン「アバランチ(Avalanche)」の開発組織、アバ・ラボ(Ava Labs)と連携し、「レモネード・クリプト気候連合(Lemonade Crypto Climate Coalition)」を立ち上げた。
同連合が開発を進める保険はどう機能するのか?
まず、農家が加入する保険料は、アバランチ上でステーブルコイン(法定通貨に連動するデジタルマネー)に変換されて管理される。保険の対象となる気象条件や、農産物の収穫量への影響が確認されると、そのデータがチェーン上のスマートコントラクトに送られ、保険金は即座に農家に支払われる。
気象条件や収穫量の減少などの外部データと、チェーン上のスマートコントラクトとを接続するために、同連合にはチェーンリンク(Chainlink)が参画した。チェーンリンクは、外部データとチェーンとを結ぶプロトコル「チェーンリンク」を開発する企業。
ケニアで約7000の農家が参加、旧型の携帯電話で加入できる保険
昨年までに、ケニアの約7000の農家がレモネード・クリプト気候連合の試験プロジェクトに参加し、3度目の収穫期を迎えた。アフリカ大陸の一経済大国とは言え、ケニアの農業従事者のほとんどはスマートフォンを持っていない。
したがって、同連合の保険は旧型の携帯電話(フィーチャーフォン)から加入できる仕組みを使ったと、レモネードの事業開発部長で、同連合の組成をリードしてきたロイ・コンフィーノ(Roy Confino)氏は話す。
一方で、ケニアの総人口約5600万人の7割以上が、モバイル送金システムのエムペサ(M-PESA)を日常的に使う。ケニア最大の通信会社サファリコムが開発したエムペサは、ショートメッセージ・サービス(SMS)を利用することで、スマホでなくてもモバイル送金決済ができるため、2007年の誕生から爆発的に普及してきた。
銀行口座の開設ペースより、携帯電話の普及速度の方が速いと言われる大陸だが、ケニアに限らず、「サブサハラ(サハラ砂漠の南側)に住む農家の過半数以上はスマホを持っていない」とコンフィーノ氏。
「農家はレモネード・クリプト気候連合のプラットフォームとのコミュニケーションをフィーチャーフォンで行う。保険加入と保険金の受け取りはエムペサで、通貨はケニアのシリングが基本だ」
DeFiの導入、アフリカ全土を網羅する計画
試験プロジェクトでは、チェーン上に存在する資金は農家が法定通貨で支払った保険料と、レモネード財団や他のパートナー企業からの補助金の合計となる。ケニア・シリングや他の法定通貨から暗号資産に交換したり、保険金を支払う際には暗号資産から法定通貨に交換するといった基本的なプロセスを行う。
現在、レモネード・クリプト気候連合は、プロジェクトを次のステージに移行させる準備を進めている。まずは、チェーン上でピアツーピアで行う金融取引「DeFi(分散型金融)」の導入だ。DeFiは、暗号資産の貸し借りを含む多様な取引を通じて利息やリターンを取得できる、いわば「チェーン上の資産運用市場」として注目されている。
現時点で、DeFiで運用されている資金は米ドル換算で約830億ドル(約12.7兆円)にのぼる(Defilamaのデータ)。
従来の保険会社は、保険金を保険加入者に長期的・安定的に支払える体制を維持するため、集めた膨大な資金を公社債や株式、外国証券、不動産などの資産クラスを中心に運用している。これに対してレモネード・クリプト気候連合は、アフリカのデジタル農業保険に特化したDeFiプロトコルの開発と試験運用を検討していると、コンフィーノ氏は話す。
また、同連合はアフリカ全土に保険サービスを展開するため、ケニアのインシュアテック企業、プーラ(Pula)とパートナーシップを結んだ。プーラは、海外の再保険会社や政府機関と連携し、ケニアやナイジェリア、タンザニア、モザンビークで農産物保険と家畜保険の普及を進めている。
ケニアのインシュアテック「Pula」と手を組む
プーラは国連の世界食糧計画(WFP)と共同で、ナイロビから180キロに位置するキトゥイ郡の農家に農産物保険を提供する活動を行った。3年間で同地域の1万人の農家が保険に加入した。
キトゥイは、ケニアの主食「ウガリ」の原料であるメイズ(トウモロコシ)の産地でもある。ウガリはスワヒリ語で、メイズやキャッサバなど穀物の粉を湯で練り上げた、アフリカ各地で日常的に食されている伝統的な食品。
アフリカ最大の経済国で、2億人が住むナイジェリアでも、プーラは同様の取り組みを行ってきた。ナイジェリア中央銀行と連携して、同国の綿花とコメ農家などに保険を普及させ、2020年の1年間で54万の農家が加入した。
「プーラは既に小規模農家に対する保険販売の実績があり、ケニアやナイジェリアの農業コミュニティとの太いパイプを持っている。レモネード・クリプト気候連合にとって、重要なローカルパートナーだ」(コンフィーノ氏)
アフリカ全体の人口は約14億人。そのうち小規模農家の数は3億人で、大陸の労働力の過半数を占めると言われるが、大多数は農業保険に加入することができない。
国連の世界気象機関(WMO)が2023年にまとめた報告書では、アフリカの農業生産性は1961年から3割近く下落しており、その主因は気候変動による異常気象によるものとしている。
レモネード・クリプト気候連合が開発する保険の商業化時期について、コンフィーノ氏は「正確な時期は伝えられないが、一刻も早く数百万、数千万のアフリカの小規模農家に提供できるようにしなければならない。気候変動に関連した災害はより深刻で、待ったなしの状況だ」と話した。
|インタビュー・文:佐藤 茂
|トップ画像:アフリカの農業従事者のイメージ画像(レモネード財団)