「暗号資産規制の明確さ」という虚像【オピニオン】

暗号資産界の知識人たちが集まる場で、スーツに身を包んだ参加者たちに「何を最も期待しているか?」と聞けば、「規制の明確さ」という答えが返ってくるだろう。

その答えは間違ってはいない。開発者や投資家にある程度の保護を与え、より多くの機関投資家の資金を呼び込み、業界にとって恩恵となるのは確かだ。

しかし、規制の明確さは時に言われるように、暗号資産の「成功を左右する」ものでもない。「すべての暗号資産は規制を受けるべきだ」と主張する人たちは、暗号資産が何であるのか、どのようにしてここまで成長してきたのかをしっかりと理解していないことを、自ら露呈している。

すべての暗号資産市場が規制を受けることにはならないだろう。業界が成功するために、すべてが規制を受ける必要もない。さらに言ってしまえば、すべてが規制を受けるべきでもない。

機関投資家寄りの暗号資産アナリストとして、私は基本的に規制賛成派だ。私の考えは少しリバタリアン寄りだが、市民を守る政府の役割を支持している。そして、金融取引に関しては多くの投資家が、ある程度の保護があった方が安心できることも理解している。

数字が語ること

ブルームバーグは先週、最新の「マーケッツ・ライブ(MLIV)パルス」調査の結果を公表した。564名の回答者のうち、60%は規制がより整備されれば、暗号資産への投資の可能性が高まると回答。

CoinDeskも先週、主要暗号資産企業から構成される「Crypto Council for Innovation」が実施した調査について報じた。1200人の参加者(そのうち暗号資産を保有しているのはわずか13%)の52%が、暗号資産業界がより規制を受けるのを望んでいることが明らかとなった。

金融大手フィデリティ・デジタル・アセッツ(Fidelity Digital Assets)も先日、世界的な機関投資家を対象とした年次調査の結果を発表。規制をめぐる問題が、投資を妨げている主要な要因の1つとして挙げられていた。

つまり数字は、投資家がさらなる規制を両手を広げて待っていることを示唆しているのだ。このような思いは、規制の整備がより多くの機関投資家からの資金をもたらし、それが価格を押し上げるという、希望を込めたナラティブに支えられている。

しかし、問題の数字をもう少しじっくり見てみよう。

前述の3つの調査の数字は、決定的なものではない。ブルームバーグの調査回答者の40%は、規制の程度は、暗号資産投資をめぐる判断にほとんど影響をもたらさないと回答。Crypto Council for Innovationの調査でも、約半数はさらなる規制を望まないか、その点に関心を持っていない。

フィデリティの調査によれば、投資を妨げるもののリストの中で、特定の資産の分類をめぐる懸念は7番目にランクしたのに対し、「規制をめぐる明確さの欠如」は最下位付近に位置した。「規制をめぐる明確さの欠如」を懸念するものとして挙げたのは、アジアの機関投資家のわずか4%、ヨーロッパの機関投資家の20%未満であった。

つまり、規制をめぐる問題は多くの人にとって懸念事項だが、すべての人にとってではない。ここで、より大きな問題が浮上する。すべての暗号資産市場は規制することができる、あるいは規制する必要がある、という考えだ。

このような考えは、機関投資家的な考え方に起因する。大半の機関投資家は、規制を受けた取引所でしか取引することができず、すべての機関投資家は、将来的な法的問題を避けたいと考えている。

さらに、暗号資産市場を運営する大半の企業は、その取引規模と、サービスに対する手数料を理由に、機関投資家の顧客を求めている。暗号資産の規制は、サービス提供事業者と多くの投資家たちの間で、執着のようなものになりつつあるのだ。

選択の自由

業界全体が規制に執着しているわけではなく、規制が普通の状態と考えてしまっては、暗号資産と規制の重要な特徴を見逃すことになる。どちらも、選択が要となるのだ。

暗号資産は、中央集権化された法定通貨システムの代替として台頭し、ここ数年間のイノベーション、技術的発展、インセンティブの実験の急増は、めまいがするほど多様な資産、ユースケース、ガバナンススタイル、取引プラットフォーム、コミュニティ、価値観を生んできた。

規制における選択の役割は、それほど明白ではない。私たちはルールに従わなければならないと教えられてきたが、それは正しくない。ルールは無視することができる(それを薦めている訳ではない)が、それには代償が伴う。

そのコストは高い(例えば、長年投獄されるかもしれない)場合もあれば、それほどでもない(銀行に規定の違約金を支払うだけで済むかもしれない)こともある。そのトレードオフ、さらに倫理的、社会的コストを見極めて、それをもとに私たちは行動する。しかし、選択するのは最終的に私たちなのだ。

ルールに従う代わりに、私たちは保護を受ける。これは通常、とても良いことだ。しかし、金融取引に関しては、保護が中央集権型の支配のように感じられることもある。とりわけ、恣意的に見える条件にもとづいてチャンスが否定されたり、個々の金融機関が現実的ではない脅威を理由に制限を受けたりする場合にはなおさらだ。

多くの参加者にとって保護は、公平な価格付け、何か問題があった場合の救済措置、そして違法な取引にはより簡単に警告がつくという安心感を意味する。

草の根というルーツ

ここに、暗号資産の機関投資家への普及に内在する矛盾が見えてくる。一方では、そのプロセスがより強い業界を作っている。同時に、近視眼的な注力とナラティブのぼやけも生むのだ。

暗号資産市場は元々、規制当局の監視や保護は皆無で、草の根レベルで発展してきた。その後、投資家層が広まり、複数の破綻や問題によって、ルールの欠如が引き起こす痛みが浮き彫りになる中、より信頼できるプラットフォームに対する需要から、現在あるような市場インフラが生まれたのだ。

そのおかげで、巨額の資産を抱えた限られた投資家たちを含め、投資家の関心が高まり、取引規模の増大は価格とさらなるイノベーションを支えた。

暗号資産市場に機関投資家が関与するのは良いことだ。成功のサインである。しかし、その影響力が過剰になったために、「暗号資産が秘めた可能性」と「機関投資家のニーズ」がひとつにまとめられてしまった。

こうなると、暗号資産は何十万人もの個人が主導し、個人投資家優先で台頭してきたということを忘れてしまいがちになる。そうなると、規制当局は既存のルールを暗号資産業界にも適用できると主張するため、合わないものを無理に押し込もうとすることに重点が置かれてしまうのだ。

これはもちろん、一般論ではあるが、暗号資産のイノベーションや需要を先取りするどころか、それに追いつく可能性も低い規制の明確さを機関投資家たちが待つうちに、一部の分野で前進するためのサポートが遅れてしまっているのは確かだ。

暗号資産アプリケーションは、周縁部で生まれ続け、それを止めることはほとんど不可能だ。トークンの発行や取引は、中央集権的な権威を持つ組織がコントロールしているのではないのだから。

暗号資産のすべてが、「規制の明確さ」や機関投資家の参加を必要としているわけではない。その大半は、公平な市場を確保し、違法な利用を抑えるためのある程度の監視のもとで、実際のユーザーと実際のインセンティブを使ってテストする必要があるだけなのだ。

例えば、さらなる規制のサンドボックスは、業界の経験値を高めつつ、規制当局によるリスクとチャンスの理解を深めることもできる。犯罪がほう助されているわけではなく、参加者が自らの選択を理解していると、当局に請け合うことができるような他の枠組みも存在するのは間違いない。

詳細な枠組みや、具体的な制限が整備されるのを待てば、安全性は高まるが、時間はさらにかかることになる。

つまり、規制当局は暗号資産業界の開発者や市場参加者が従うべきルールに関して、より多くの選択肢を与えつつ、誠実な人間の叡智をサポートする姿勢と、それが支える人たちへの敬意を示すことができる。そうすることによって規制当局は、規制がもたらすものへの評価も高めることができるかもしれない。

ノエル・アチェソン(Noelle Acheson)氏は、CoinDeskとジェネシス・トレーディング(Genesis Trading)の元リサーチ責任者。

|翻訳・編集:山口晶子、佐藤茂
|画像:Shutterstock
|原文:The Myth of ‘Regulatory Clarity’