ビットコインと貧しさに関する哲学准教授の考え【オピニオン】

ビットコインと貧しさに関する哲学准教授の考え【オピニオン】

ビットコイン価格が1000万ドルに到達するということについて、少しでも疑念を表明したことがあるならば、プレブ(古代ローマの平民にちなんで名付けられた、ビットコインを声高に支持する人たち)は「貧乏なままでいることを楽しめ」などと言ってきただろう。

侮辱のための言葉なのだが、もちろん多くの人は貧乏なままでいることを楽しんでいる。バルコニーでレモネードを飲み、ゆっくりと散歩をし、歌を歌い、泳ぎに行って、お金のことはあまり気にせずに。

しかし、10ドル、100ドル、1000ドル、あるいは10000ドルだった時にビットコインのことを耳にしたのに、不安で買わなかった人たちはどうだろう?

ビットコインの価値がさらに上がるとしたら、ビットコインを買わないことにした人たちはどうなるのだろう?彼らもそのままの暮らしを楽しめるだろうか?それともプレブたちは、不可能なことを彼らに勧めているのだろうか?

意味を紐解く

まずは、貧しいということについて考えよう。

「貧しい」とは相対的な言葉だ。ある時代と場所においての貧しさは、他の時代や場所での貧しさとは異なっているかもしれない。通常比較の対象は、自分の周りにいる人たちだ。

しかし、非常に裕福な人たちでさえも、貧しいままでいることを楽しめと言われたことがある。イーロン・マスクのように。つまり、比較対象は一般的な人たちという訳ではない。

プレブたちが考えているのは、ビットコインを購入した場合の将来の自分自身なのだ。ビットコインを買わずにい続けたして、それを買った場合の自分と比較すると、あなたは貧しいままだと、彼らは言っている。

さらに検討してみよう。楽しむ、とはどういうことか?一見すると、楽しむとは、幸せを感じることと同じように思えるかもしれない。しかし、そうではない。

金曜日の5時に仕事が終わって幸福感を感じることはできるが、車まで歩くのは(一般的には)楽しくはない。車を修理している間に幸福感(上手く完了させた満足感)を感じることはできるが、楽しくはないかもしれない。マラソンを走ったり、クロスワードをすることなど、身体的、認知的に困難などのような作業でも同じことだ。

つまり、楽しくない幸せというものが存在するのだ。逆に、幸福感のない楽しみは存在するだろうか?「楽しんでいるけれど、幸せではない」というのは、信じがたい。

このような考えが正しいとしたら、楽しみとは、幸せの一種であると言えるだろう。安らかで、呑気な、楽しい幸せだ。

貧しいことを楽しめるだろうか?この質問はカテゴリー上の間違いのように思われる。貧しいことは、アクティビティではないのだから。

楽しみとは、安らかで、呑気な、楽しい幸せだとしたら、貧しいことは、そのような幸せを得るためにすることではないように思われる。しかしもちろん、貧しくありながら楽しむことはできる。

例えば、誰かと競走したり、川で泳いだり、ハンカチ落としをしたりして。同様に、貧しいままでいることを楽しめるかどうかを誰かに尋ねるのも、カテゴリー上の間違いのように思われる。

しかし、貧しいままでいながら楽しむことはできるだろうか?

ビットコインを買わなくても楽しめるか?

つまり、ビットコインについて耳にしながらも買わなかった人が、ビットコイン価格が上がった後に、楽しむことができるだろうか?

ここで検討する必要があるのは、現在どんなことをして楽しんでいるかだ。ビットコインの価値が上がった後でも、それらのことは楽しいままだろうか?そうだと考えるのが妥当だろう。

ビットコインの値上がりは、子供とゲームをしたり、新しい場所に旅行したり、バルコニーでビールを飲むことの楽しみに影響を与えることはない。

貧しいままでいると楽しめないと主張するための唯一の道は、ビットコインを買わなかったことの後悔が暮らしのすべてを覆ってしまうと考えることだろう。

かつて楽しんでいたことをしようとしても、ビットコインについて常に考えているせいで、その楽しみが奪われてしまい、悲しみの涙を流す。これは非現実的だ。つまり、貧しくありながら楽しむことはできるし、貧しいままでも楽しむことはできる。

貧しいままでいる人たちは、今よりも楽しみが減り、ビットコインについて耳にした時にビットコインを買っていた場合よりも楽しみが減る運命なのだろうか?

2つの理由から、そうだと思われる。まず、ビットコインを買っていた場合よりも持つお金が少なくなる。買えるものが少なくなる。行ける場所も少なくなる。もっと働かなければならない。

次に、価値の上がる資産を買うチャンスがあったのに、買わなかったという事実を時々思い出すだろう。(価値の上がる資産を買っていたら)祝福できていた時に、自らを恨み、そうして楽しむことは難しくなるだろう。

周りの人たちに自らの悲しみをぶつけるかもしれない。例えば、ツイッター上でビットコイナーたちに嫌がらせをしたりして。

プレブ達の発言を、激励として受け取れれば良い。「ビットコインを買わないことで、買った場合よりも貧しくなってしまうんだ。そうすると、この会話を思い返して、時に悲しくなるかも知れない。しかし、あまり自分にきつく当たらずに。楽しみ続けて」

私はこのように解釈することを選ぶ。

ブラッドリー・レトラー(Bradley Rettler)はワイオミング大学の哲学助教授。企業や国家の行き過ぎに抵抗するツールとしてのビットコインについての本を共同で執筆している。

|翻訳・編集:山口晶子、佐藤茂
|画像:Shutterstock
|原文:On Having Fun Staying Poor

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