クレディ・スイスは金融界という炭鉱のカナリアか?【コラム】

クレディ・スイス(Credit Suisse)は10月27日、巨額の損失やスキャンダルばかりが目立つナラティブを覆すために、改革計画を発表した。しかし、投資家はまったく感銘を受けず、巨額の損失が明らかとなった決算報告と、現在の株主の立場を大いに薄めることになる資金調達計画の発表を受けて、同社の株価は15%以上も値下がりした。

退却の決断

改革計画の中身は、クレディ・スイスだけでなく、金融業界全体にも大きな意味を持ちそうだ。クレディ・スイスは社員数を約5分の1減らして、その規模を大きく縮小しようとしている。

複数の報道によれば、投資銀行や諮問事業の一部をスピンオフし、クレディ・スイス・ファースト・ボストンと呼ばれる会社にしようとしているらしい。と言うよりは、かつて廃止したファースト・ボストンブランドの復活である。

クレディ・スイスの近年の劇的なほどのお粗末さが、新しい方向性の議論の中心となっているが、それも当然だ。アルケゴス・キャピタル・マネジメントやグリーンシル・キャピタルなどに関わって被った恥ずべき損失によって、クレディ・スイスに対しては、巨額の資金を取り扱うのに必要な人材と規律を持っているのかという、極めて辛辣な疑いの目がが向けられている。

クレディ・スイスが再三にわたり自ら招いた傷は、巨額金融取引市場全体の限界も含めた、より広範な構造的要素の結果なのかもしれない。

クレディ・スイスは、主に1990年代から企業向けの取引でウォール街と競争を始めたヨーロッパ系銀行の1つである。同行にとっても、同じくらい悪名高きドイツ銀行にとっても、このような戦略的シフトはほぼ間違いなく、何十年にも及ぶ無駄な努力となっている。

ドイツ銀行は2019年、はっきり言ってしまえば利益を出せなかったために、投資銀行事業を積極的に縮小させて退却。UBSも2012年、状況はだいぶ異なるが、似たような方向に進んだ。UBSは投資銀行事業の縮小において、1万人の解雇を計画。クレディ・スイスの9000人の人員削減計画にかなり近い形だ。

クレディ・スイスにとって、ファースト・ボストンをスピンオフすることは、敗退を認めるのと同じこと。クレディ・スイスとファースト・ボストンの関係が始まったのは1978年で、1988年には合併し、2005年にはクレディ・スイス・ファースト・ボストンのブランドは廃止された。

そのような大胆で象徴的な動きにも関わらず、クレディ・スイスは、米ゴールドマン・サックスやJPモルガンを含めたウォール街の大物たちから金融のビジネスを奪い取ることにおいて、継続的に前進することは決してなかった。

クレディ・スイスの時価総額がピークに達したのは2007年。世界的な金融危機を前に、比較的良い財政状況にあったにも関わらず、その後10年続いた景気拡大を味方につけることもできなかった。

クレディ・スイスのロードマップからは、富裕層の個人向けの資産管理に戦略的に力を入れていくことがうかがえる。高い収益性の可能性を秘めた市場ではあるが、投資銀行のようなチャンスを提供するものではない。

見せかけの成長

ドイツ銀行とクレディ・スイスの退却を解釈する1つの方法は、投資銀行規模の手数料を集めようとするすべての組織を支えるのに十分なほど、投資銀行に対する需要がない、という単純なものだ。

投資銀行業界自体は成長を続けているため、このことは一見すると明白ではないのだが、先日デロイトが発表したレポートでも、ブロックチェーンやその他の低摩擦のデジタル金融テクノロジーがもたらす競争の可能性を含め、重大な構造的逆風が指摘されていた。

巨額金融取引の限界を本当に見るには、投機と危機の関係に注意を払う必要がある。クレディ・スイスやドイツ銀行など、M&A助言などの分野に「入り込もう」とした企業は、能力は似たようなレベルだとしても、よりリスクの高い取引を行う傾向があり、ヘッジファンドのアルケゴスや金融サービス企業グリーンシルのような崩壊につながることはほぼ避けられない。

しかし、何よりも恐ろしいのは、このことがどれほど多くのニアミスを示唆しているか、ということ。本来なら決して行われるべきではなかったのに、拡張することに飢えた銀行が行った取引だ。そのようなギリギリの取引はそれほど利益を上げなかったとしても、アルケゴスほどひどく台無しにならない限り、金融の世界では「成長」として数えられるのだ。

さらに大切なことに、銀行に手数料をもたらした大半のM&Aやその他の取引は、株主や実際の経済にとっては、マイナスの影響をもたらしたか、あるいは何の影響ももたらさなかったのだ。

言い換えるなら、ここ数十年の金融の世界における成長は、行われる必要のあった取引ではなく、行える取引を探すマネーという、供給側が主導していたということ。とりわけ必死な供給主の一部がついに退却を決めたことは、マクロ経済を安定させる効果を持ち、好不況の過激なサイクルを鎮めることができるかもしれない。

これは、希望的観測かもしれない。世界にはリターンを求める資本があふれたままであり、極めてお粗末な仲介業者がいくつか没落したからといって、生産性のない取引が本当に不活発になるかは分からないのだ。しかし、世界における金融の役割がますます搾取的になる中、小さな希望の光と考える人もいるかもしれない。

|翻訳・編集:山口晶子、佐藤茂
|画像:YueStock / Shutterstock.com
|原文:Is Credit Suisse a Canary in the Financial Industry Coal Mine?